日記・コラム・つぶやき

2018年10月19日 (金)

3冊目の本を造る

 一昨年(平成28年)に「往時渺茫(びょうぼう)」という本を始めて造ったが、昨年(平成29年)は「幕末の水戸藩」という2冊目の本を造った。

 造り方は一冊目と同じようにWordで原稿を作り、16ページの折丁に印刷し、糸綴じ、化粧裁ちをして表紙を造り本文を張り付けるという本造り全体を自分で作業し完成させる方法である。

Img_7117Img_7112Img_7113Img_7116Img_7114 そして今年(平成30年)は3冊目の本として「おくのほそ道漫遊紀行(1)深川~平泉」という題の本を同じやり方で造った。

 これは以前に松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をした内容をブログやホームページにアップしたが、それを再編集してその中の江戸深川から奥州平泉までを第1巻として本にしたものである。
   
 「おくのほそ道」はその後、山寺立石寺、出羽三山、象潟(きさかた)、山中温泉、敦賀などを経て大垣まで続くので、出来ればさらに第2巻、第3巻まで書き進もうと思っている。

 小生が「おくのほそ道」をたどる旅を志したのは平成13年で、それから5年掛かって平成18年に結びの地大垣までたどり着いた。その旅行記の内容を平成19年から平成21年までに「奥の細道漫遊紀行」というブログにまとめ、更にホームページに平成21年に「イバイチの奥の細道漫遊紀行」という題名でアップ出来た。

 その後、ホームページの題名を「イバイチの旅のつれづれ」に改め、毎月何件かのあちこちの旅紀行や読書感想などを掲載しており、アクセス回数もブログ・ホームページを合わせると今年中に8万回になりそうである。

 しかし小生も平成30年には85才になり、いつまでも新しい紀行やコラムを書き続けることは出来なくなってきている。ホームページやブログは継続して書き続けずに何ヶ月か過ぎると消滅してしまうことにも気付いた。そのため次世代以降に何か残すとなると印刷物が一番良いではないかと思うようになった。

 思えば最初に造った「往時渺茫」という本は小生の祖父と父の兄弟について記したもので、子供世代や孫世代に先祖の事を少しは身近に感じられるようにと思い、父とその兄弟が取り交わした若き日の書簡や、祖父の事績を子供から見て感じた書類などをメインにしてまとめた本だった。

 翌年の「幕末の水戸藩」は生まれ育った茨城の幕末の出来事を、天狗・書生の事跡をたどって、水戸周辺ばかりでなく筑波、栃木、中山道から敦賀まで、また会津から新潟、更に千葉までの旅をまとめた本だった。

 そして今回は「おくのほそ道」である。身近なことからだんだん広げていった気がするが、すべて自家制作の本なので10部内外しか作れず、結びの地大垣まで無事たどり着けるだろうか。

(写真をクリックすると大きくなります)

(この項終わり)

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2018年8月23日 (木)

「隠蔽捜査7---棲月(せいげつ)」を読んで

 棲月(隠蔽捜査7)    今野 敏著   2018年1月発売

 今野敏の作品を読み始めたのは平成19年1月に「隠蔽捜査」(平成17年発売)が初めてだった。その後今回の作品「棲月」まで60冊以上の今野敏の作品を愛読している。

 今野敏の作品は警察小説のジャンルが多いが、その中でも「隠蔽捜査」シリーズはメインになるもので、初回の「隠蔽捜査」で吉川英治文学新人賞を受賞し、第2回の「果断・隠蔽捜査2」で山本周五郎賞と日本推理作家協会賞を受賞している。

このシリーズは

 「隠蔽捜査」    平成17年(2005)発売、

 「果断 隠蔽捜査2」 平成19年(2007) 〃

 「疑心 隠蔽捜査3」 平成21年 (2009)  〃

 「初陣 隠蔽捜査3.5」平成22年 (2010) 〃

  「転迷 隠蔽捜査4」  平成23年(2011) 〃

 「宰領 隠蔽捜査5」 平成25年(2013) 〃

 「自覚 隠蔽捜査5.5」平成26年(2014)  〃

  「去就 隠蔽捜査6」 平成28年(2016) 〃

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「棲月 隠蔽捜査7」 平成30年(2018) 〃

 

 

 と続いており、今回で9冊目である。

 このシリーズの主役は普通の警察小説の刑事では無く、警察庁のキャリア官僚の竜崎伸也警視長である。竜崎は私利私欲とは無縁で、国家公務員としてあるべき姿や、原理原則に忠実であるため変人といわれている。

 竜崎はある事件によって警察庁長官官房総務課長から大森署の署長に左遷されたが、それにめげることなく活躍する内容がこのシリーズのメインで、最初は戸惑った部下の署員たちからも厚い信頼を寄せられるようになる。

 しかし次回から神奈川県警刑事部長に抜擢されることになった。

 作者は、このシリーズを今後も続けると表明しているので、次作からは竜崎の神奈川県警での活躍が見られることになる。

 今野敏の作品紹介は2016年に「平成27年後半印象に残った本」として紹介した中に「自覚  隠蔽捜査5.5」を載せてある。また2017年に「継続捜査ゼミ、回帰、を読んで」という隠蔽捜査シリーズ以外の今野敏の作品を紹介しており、今回で3度目である。

 今回の「棲月 隠蔽捜査7」は、鉄道、銀行、文部省のシステムがダウンし、出勤や銀行業務などに障害が発生するという3件のサイバー犯罪が行われ、それと同時に殺人事件が発生するが、そのすべてがコンピューターを駆使するハッカーによる犯罪であるようなので、従来の犯罪捜査の手法だけでは捜査がうまくいかず、新設されたサイバー犯罪対策課などとも協力しあって解決に導くという新しい捜査方法が描かれており、その間に神奈川県警への異動の内示があり、大森警察署から離れることに未練を感じつつ去っていくという内容である。

(この項終わり)

2018年7月21日 (土)

「ライトマイファイア」を読んで

 ライトマイファイア    伊東 潤著   2018年6月発売

Img_6731 この本は時代小説家の伊東潤が2016年に発行した「横浜1963」以来、2冊目の現代小説である。

 前作はあまり良い出来栄えとは思えなかったが、今回は1970年(昭和45年)発生のよど号ハイジャック事件の犯人の中に公安の警察官がいたという仮説で、その潜入から脱出までの経緯をスリル満点に描いている。

一方その45年後の2015年(平成27年)に発生した川崎市の簡易宿泊所放火事件の捜査をする警察官との関連をつなぎ合わせ、さらに現在のアメリカの傘下にある日本の現状も見えてくる、読んで満足のいく作品である。

 まず、公安の三橋は中野と名を変え、昭和44年4月から大学生としてある大学に入学し、学生運動の一員として活動を始めた。その結果赤軍派の「さど号」ハイジャックの実行犯を命じられた。だが、下っ端のため命じられたことをやるだけでしかなかった。

 公安の上司にこの計画を伝えたが、そちらからの指令も無く、ハイジャックは実行され北朝鮮に到着した。その間の出来事を三橋がハイジャックの一員としてまた警察官として人質になった乗客の安全を守れるかとの相剋に悩みながら推移していく描写は手に汗を握る場面である。

 本来の赤軍派の計画では北朝鮮からキューバに行く筈だったが、北朝鮮側はメンバーを洗脳して革命戦士として生まれ変わらせ各種工作に従事させようとしていた。

 それを知った三橋は何とかして脱出することを考え警備艇を強奪し、迫りくる危機を何とか乗り越えて韓国領海で米国巡視艇に拿捕された。その時一緒に逃げた男がいたが、北朝鮮巡視艇の銃弾で亡くなった。この脱出劇も眼を離せないスリル満点な描写で描かれている。

その事件から45年後、10人の死者を出した簡易宿泊所放火事件を追っている寺島刑事は亡くなった10人の身元確認を担当したが最後の一人がなかなか判らず、放火犯の目星も付けられなかった。しかし僅かな手掛かりを丹念に追っていくことから驚愕な事実が判明する。

 それについて、文芸評論家縄田一男は「この作品は一編のミステリーでもあるからにして、詳しくは書けないが、エピローグを読んでこう言おうではないか『蟷螂(とうろう)にも、斧はあるのだ、と。』と書いている。

 なお表題のライトマイファイアは、アメリカのThe Doors(ドアーズ楽団)の楽曲 「Light  My Fire (邦題はハートに火をつけて)」 を引用している。本文の406ページに歌詞の一部が載せてある。

 今(平成30年【2018】)から50年近く前の1969年の東大安田講堂占拠事件から翌年のよど号ハイジャック事件、1972年の浅間山荘事件と続いた、全学連から日本赤軍が起こした騒然とした空気を久し振りに思いだした。

 改めて思い起こすと日本とアメリアとの関係、北朝鮮と日本との関係、沖縄問題とも50年前とほとんど変わっていない。その間で暗躍する日本の政治家や財界のブローカーなどの跳梁も同様であろうか?

(この項終わり)

 

 

2018年6月20日 (水)

葉室麟の遺作「玄鳥さりて」を読んで

 葉室麟は昨年(2017)12月に66才で亡くなった時代小説家である。デビュー作の乾山晩愁(2005)で歴史文学賞を受賞し、その後、銀漢の賦((2007)で松本清張賞を、そして蜩(ひぐらし)ノ記(2012)で直木賞を受賞している。
 

 玄鳥さりて   葉室麟   2018年1月発売

Img_6558  「玄鳥さりて」は葉室麟の遺作となった時代小説である。

 主人公の三浦圭吾は少年時代、道場で一番の使い手で8歳年上の樋口六郎兵衛の稽古相手になることが多かった。圭吾は稽古に励み、何時しか道場の隼といわれるほど上達した。六郎兵衛は軽輩の出なので、剣の使い手だけでは出世できず、また自分を売り込もうとはせずひっそりと生きていた。その六郎兵衛がある時以前から遺恨を持っていた3人の藩士に襲われたが、逆にその3人を切り殺し遠島になった。

 それから10年が経ち六郎兵衛が許されて帰藩できることになった。その頃圭吾は出世して勘定奉行になり、藩内の派閥争いに巻き込まれるようになってきた。また本藩から養子に来た藩主も親政を考えて派閥争いに首を突っ込んできた。その間いろいろな出来事があったが結末近く、藩主は圭吾が邪魔になると考え、六郎兵衛と果し合いをすることを命じ、同時にどちらかが生き残ったとしてもそれを抹殺しようとした。

 それに対し、果し合いの場で圭吾を葦の茂った水辺のほとりに誘い込んだ六郎兵衛は圭吾に侍を辞め関西に行くことを薦め、用意してあった小舟に圭吾を乗せた。病気のため余命がいくらも無いことを知っていた六郎兵衛は「武士の刀は主君であれ、家族であれ、おのれの命にかえても守りたい大切なひとのために振るうものだ」というせりふを残して藩主を切るべく歩き出すところで終わる。

 玄鳥とは燕のことで、六郎兵衛が圭吾の家の守り神になっているとの意。六郎兵衛は以前親切にされた剣士を守りきれず切腹させてしまったことがあり、圭吾の道場での表情がその剣士にそっくりだったことから、圭吾を生涯友として守ろうと思い定めたのだった。

 葉室麟の小説は、自分の考えを思い定めた後は、たとえ自分の不利益になっても幾多の困難や誘惑を乗り越えて、信じる道を進んで行こうとする作品が多い。また作中に短歌、俳句、漢詩などを取り入れて、それが作品の隠れた主題になっていることも多くある。

 この作品でも「吾が背子と二人し居れば山高み 里には月は照らずともよし」という和歌がその役目を果たしているが、他の作品でも正邪入り乱れるストーリーの中でも一服の清涼剤になっており、また主人公の変わらぬ想いを再認識させる役目を果たしている。

 葉室麟の作品を読むのは平成21年(2009)に「秋月記」「銀漢の賦」を読み始めて以来、この本で丁度50冊目にあたる。人間の欲望に陥る弱さに理解を示しながらも己の生き方を曲げない作品が多く、爽やかな読後感をもたらし余韻を残してくれる。ずっと愛読してきた作者であり寂しい限りである
 

(この項終わり)

2018年4月13日 (金)

「雲上雲下」を読んで

 雲上雲下    朝井 まかて著   2018年3月発売

Img_6220 朝井まかては幕末の水戸藩に関連する作品「恋歌」で平成25年に直木賞を受賞した作家であり、「雲上雲下」以前に15冊発行された中で11冊愛読している好きな作家である。

 今回の作品は民話や物語りの世界を再構成して、枯れることの出来ない丈の長い草「草どん」がしっぽの短い子狐に語ることから始まる。

  傘地蔵、竹取物語、浦島太郎、龍の子太郎、九尾の狐などの子供時代に聞いたり読んだりしたお伽噺を違ったストーリーに再構築して話し聞かせる物語は、昔のことを思い出させながら、そのお伽噺を発展させた新しい話に引き入れられ、つい長時間読みふけってしまった。

 しかし物語は途中から交錯し、雲上雲下がひずみ始める。「草どん」は自分が天の神様に民草の間の物語を披露するお伽衆だったことを思い出し、天上では神々がしばらくお伽衆の話を聞いていなかったということで、「草どん」=福耳彦命を天上に呼び戻す。

 やがて「草どん」の居た場所が切り崩されて団地が出来ることになる。そして天上に戻った、「草どん」=福耳彦命の耳には殺伐とした言葉しか聞こえてこない。効率優先、結果第一の余裕のない社会では物語は消えてしまうのか?

 作者は、今回の本を書く前に、全国あちこちの民話を聞き歩いたそうで、語り継がないと消えてしまう民話を途絶えさせてはいけないという作者のメッセージがファンタジーの中に強く込められている。

 文芸評論家、縄田一男は「なんと素晴らしい一巻であることか。全読書人必読の一冊と言っていい。文学史に残る作品である。」と激賞している。

(この項終わり)

2018年2月19日 (月)

「竜と流木」、「陸王」を読んで

 去年(平成29年)は79冊の本を読んだ。一昨年は76冊だったので、月平均6~7冊読んだことになる。最近はあまり肩が凝らず2~3年以前に発行された本を読むことが多い。

 今年の正月も10冊近く読んだが、その中から篠田節子の「竜と流木」と池井戸潤の「陸王}について述べてみたい。

 
 (1)竜と流木         篠田 節子    2016年5月発行
  (2)陸王          池井戸 潤    2016年7月発行

 

(1) 竜と流木

Img_5947_2 篠田節子の本は「仮想儀礼」以来しばらく読まなかったが、最近「となりのセレブたち」「冬の光」を読んだ。そして今回最新作である「竜と流木」を読んだ。

 話の内容は、ある南の島で、水を浄化するウーパールーパーに似た可愛らしい生物ウアブが環境の変化によって変異し、思いがけない黒いトカゲに似た害虫になってしまう恐怖。

 一方島の古老たちの話として昔この近くに竜が住むという無人島があったが嵐と地震で海中に没したので、付近の島に流木に乗った無数の竜の子供が流れ着いていろいろな形や色のトカゲになって住民の生活を守り、共存しているという言い伝えを知る。

 主人公はこのウアブが生息している泉が開発によって干上がるというので、専門家を交えた保護団体を作り、少し離れた泉に移すことにしたのだが、それが黒いトカゲ状の生物が増えた原因になったことが分かった。

 しかしそれを駆除していく方法が銃で急所を狙って殺す以外になく、被害は急速に広がっていく。そして最終的にそれを根絶できるのはこの黒いトカゲを食べる生物を見つけて黒いトカゲのいる場所に向かわせることだった。

 昔からの言い伝えと環境変化による変異、そしてそれを収束させるのは、人間ではない自然の営み、そして昔からの自然との共生をする現地人の生き方の知恵などが、文明社会にどっぷりつかった我々との対比を際立たせている。

(2) 陸王

Img_6019_2 下町ロケット」を書いた池井戸潤の昨年ドラマ化された新作である。主人公は埼玉県行田市にある百年の歴史を持つ足袋作り業者で、従業員20名程度の「こはぜ屋」という零細企業の社長である。

 業績がじり貧になって行く中で、社長は足袋製造の技術を生かしたランニングシューズの開発を思い立つ。

 最初は社内の3人で試作品を作ることからのスタートだったが、紹介されたスポーツ店のインストラクターから走るとはどういう事かと問われて、足袋のように足にフィットして軽いシューズというコンセプトで作ることになった。

 試行錯誤しているうちに、シューズの靴底にあたるソールという部品が重要であることが分かってきた。ソールが薄すぎると直ぐにすり減ってしまうし、厚いと重くなって走りにくいということである。

 そのうちに倒産した零細企業主が繭で作ったソールの材料の特許を持っていることが分かり、探し出して技術顧問になって貰った。更に大手スポーツ会社に所属していて選手へのアドバイスなどをするシューフィッターとよばれる男が上司との考え方の違いから退職したことを偶然知り、アドバイザーとして協力して貰うことになった。

 そのようにして多くの人の協力で開発したシューズを、故障から再起を期してサポート契約をした選手が全日本のマラソンに出場することになったが、その直前新しいソールを作る機械が壊れて使用不能になってしまった。

厳しい企業経営の実態を従業員はじめ多くの人の協力で乗り越えていく、池井戸ワールド全開のロマンあふれる感動の一冊である。

(この項終わり)

2017年12月 1日 (金)

伊東潤の「武士の碑」、「西郷の首」を読んで

 作者伊東潤は、「西郷隆盛と明治維新三部作」として、下記の3作品を発行した。

 ① 西郷隆盛の側近だった村田新八の視点から描いた2015年7月発行の「武士の碑」。

 ② 西郷と袂を分かち、大久保側に付いた川路利良の視点からの2016年12月発行した「走狗」。

 ③ そして西郷の首を発見した男とその親友だった大久保利通を暗殺した男との二人の加賀藩士の視点から描いた2017年9月発行の「西郷の首」。

 上記の3作品によって明治維新とは何だったのか、西郷隆盛という人物はどう評価すればよいのかを問いかけている。    

 この3作品のうち、「走狗」は西郷への思慕からスタートし戊辰戦争を戦ったが、やがて西郷から離れて大久保側に付いて西南の役を戦い、警察機構を構築して初代大警視となった川路利良の話で、今年(2017年) 3月のブログで紹介しているので、今回は他の2作品について紹介したい。

「武士の碑(いしぶみ)」

Img_5813 西郷と大久保の後継者と目されていた村田新八は、岩倉使節団の一員として渡欧し、大久保らの帰国後もフランスに在住していたが、西郷下野の報を受けて急遽帰朝した。村田新八は以前から西郷と大久保との争いを仲裁していたので、何とかしようと思ったのである。西郷は鹿児島に帰っていたので、村田も故郷鹿児島に戻った。

 大久保たちの新政府は、明治9年に軍人と警察官以外は帯刀を禁ずる廃刀令と士族の家禄を公債証書で支給し家禄制度を廃止することなどの改革を行ったので、士族の物心両面で大きな打撃は大きく、その不満から熊本の神風連の乱、秋月藩の乱、長州萩の乱などが起きたがいずれも短期間で鎮圧された。

 しかし明治10年になって大久保の挑発に桐野利秋らが暴発し私学校生徒による火薬庫襲撃に端を発し西南戦争が始まった。

 当初薩軍は熊本鎮台を占領し、そこを橋頭保にして各地の士族の決起を待ち、中央政府と交渉するつもりだった。しかし激しい戦闘の末、薩軍は熊本鎮台を占領できず、田原坂の激闘などを経て撤退に撤退を重ね、鹿児島城山で最期を迎える。。その重苦しい話を処々に村田のパリ時代の挿話を挟んで緩和していく。

 そしてこの作品の裏に流れる重低音は「いかに死ぬべきか」ということであり、また最後の文にあるように武士の時代の終焉を告げるということだった。
 
「西郷の首」

Img_5627 三部作の最後の作品が「西郷の首」である。幕末の加賀藩は最大の外様藩だったが、藩論は統一されず当初幕府側に付いて尊攘派の人材を粛正し、それが仇となって後に新政府軍に属しても藩をリードしていく人物に恵まれず、新政府発足にあたっても指導的地位には就けなかった。

 加賀藩の足軽だった島田一郎と千田文次郎は幼馴染みだったが二人とも東北諸藩との戦いに従軍して北陸線戦で戦った。明治新政府が発足し、廃藩置県、徴兵令などにより新政府が日本全土を直接統治する体制になった。

 島田と千田はそれぞれ軍隊に入ったが、島田は軍隊に馴染めずやがて困窮した士族を救うために武装蜂起を考えるようになった。しかし明治10年に西南戦争が始まり、陸軍中尉になっていた千田文次郎は政府軍の一員として従軍し、城山での戦いで西郷隆盛の首を見つけ出してしまう。

 一方金沢で薩軍の挙兵を聞いた島田一郎らはそれに呼応して決起しようと同志に呼び掛けたが、武装蜂起に同意するものは少なく、そのうちに西郷の死を知って武装蜂起は諦め要人暗殺を考えるようになった。そして親友の千田文次郎の説得にも耳を貸さず紀尾井坂の変で大久保利通を暗殺してしまうのである。

 幕末から明治初期の動乱を脇役に甘んじた加賀藩の足軽だった二人の眼を通して、新政府側、反政府側それぞれの視点から明治維新は何だったのかとその功罪を描いた秀作である。

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(この項終わり)

2017年11月10日 (金)

山の家でピザつくり       

 平成29年(2017)11月3日。所属クラブであるホームページの会のメンバー6人で講師のKさんの香林庵と名付けられた山の家に行き、そこでピザを作り、食べながら懇親会を催すことになった。

Pa01Pa02 Kさんは約20年前に茨城県常陸太田市の山中に600坪の山林を購入し、それを開拓して畑を作り、山小屋風の作業小屋を作り、ピザを焼く窯や竹炭を作る窯などをほとんど家族だけで作り上げたということである(写真は香林庵の建物とピザの窯〔向かって右側〕と竹炭を作る窯〔向かって左側〕)

Pa03 前夜の雨も上がり、好天の中を大甕駅から同じメンバーの車に同乗させて貰い、山道を登ること約30分弱で到着した。入口に通ずる道路は坂道が急だったので上れず、下の少し広い道路の隅に置いて数百メートルの小径を登ると開けた畑があり、そこが香林庵という山の家だった。(写真は入り口付近からの眺め)

Pa04Pa05Pa06 山の家は一部本職の手伝いを受けたそうだが、ほとんど素人で作ったという立派な建物である。中にあるピザの窯の前で、Kさんがすでに火を燃やして窯を温めてくれていた。通路に沿って菊がたくさん花をつけていた。(写真はメインの建物、火を燃している窯、東通路から眺めたメインの建物)

Pa07Pa08 前方は竹林で後方は松やクヌギなどの山林に囲まれ、裏の方にはシイタケを栽培する原木が立掛けられており、また蕨やタラの芽などの山菜を採る一隅がある。山の家に沿ってテーブルと腰掛の付いた庭テラスが設置されていて自然の光を浴び、そよ風を受けながら食事などが出来るようになっている。(写真は蕨の生える場所、広々とした庭テラス)

Pa09Pa10Pa11 その奥には大きなビニールハウス風のネットで囲まれたブルーベリー畑があり、食べきれないほど沢山の実がなるそうである。前方の畑には大根や白菜、ブロッコリーなどが植えられ、よく手入れされている。畑の先は竹林で、タケノコが取れるようになっており、自然の恵みを満喫できる山の家である。(写真はブルーベリー畑、野菜畑、竹林)

Pa12 一回り庭を見せて貰った後、早速ピザ作りを始めた。本格的にピザを作った人はKさんしかおらずその指導を受けて、料理教室に行った人やソバつくりをやった人がいたのでその人を中心にして、すでにミックスされた粉を使って生地を作ることから始めた。(写真は生地作り)

Pa13Pa14Pa15 生地を練り上げ、団子にしてしばらく発酵させ、その後めん棒で生地を広げる。次にソースを塗り広げて、ねぎ、トマト、ハム、ピーマン、サラミソーセージ、チーズなどをトッピングして窯に入れて焼くのである。(写真は丸めて発酵中の生地、めん棒で生地を伸ばしソースを塗り広げているところ、トッピング作業をしているところ、トッピング完了の生地)

Pa16 Pa17Pa16Pa19_3Pa20_2   トッピングしたピザ生地をパーラーという道具で窯に入れる。(写真はパーラーに粉をふりかけ右端の生地を乗せるところ、パーラーに乗せた生地2景、窯に入れたパーラー2景)

Pa21Pa22_2Pa23Pa24Pa25_2 焼けるまで数分待って、裏側が焼ければ出来上がりで皿に移す。それを準備した枚数だけ繰り返すので大変である。(写真は窯の中の生地、同じく焼け具合を見るところ、パーラーから皿に移すところ、出来上がったピザ2景)

Pa26 今回は12枚焼く予定で、途中火力が弱くなったので6枚終わったところで小休止にした。ちょうど昼近くなったので、外の庭テラスで飲み物やほかの食べ物を出して昼食になった。(写真はピザやその他の食べ物や飲み物)

Pa27Pa28Pa29 一休みした後、残りの6枚を焼き、その後、Kさんが作ったシイタケを頂き、ビールやワインを飲み、いろんな話に花を咲かせた。今日は風もなく、日の光を全身に浴びて幸せな気分に満ちた一日だった。(写真は焼いたシイタケ、のどかな苑内風景2景)

(この項終り)

2017年10月30日 (月)

「風のかたみ」、「墨龍賦」を読んで

「葉室 麟」の作品を2件続けて読んだのでその読後感を記す。

(1)風のかたみ    葉室 麟    2017年3月発行

Img_5583_3 この本は今までの葉室麟の作品と違って女性がメインで、ミステリー仕立ての小説である。本の表紙裏に「九州豊後・安見藩の女医である桑山伊都子は、目付方の椎野吉左衛門から藩の重臣である佐野家一族の女たちを“生かす”よう命ぜられる。佐野家当主の了禅と一族の男子は藩主に叛旗を翻し、ことごとく上意討ちとなっていた。

生き残った了禅の妻ら佐野家の女たちは白鷺屋敷に軟禁されており、伊都子は傷を負った女たちの治療も担っていた。佐野家の嫁や女中のなかに懐妊している女子がいるらしく、安見藩お世継ぎ問題とも関わりがあるようだ-----」うんぬんと書いてある。

 この表紙裏にある話の通りに女医桑山伊都子が監視役を兼ねて白鷺屋敷に入り、了禅の妻、息子の嫁2人と孫娘、及び3人の女中の女ばかりの家で生活を共にしてその内情を知っていく。また怪事件が発生し死人が出るなどして藩の目付方に対してどう対処するか思い悩む。

しかし伊都子の役割は狂言回し程度で、話の大筋はお家取り潰しの危機の中でどうやって子供を守れるかを考え、女が生きるためも戦いだと策をめぐらした了禅の妻のきぬと次男の嫁の初を軸とする佐野家の女性たちの行動と、それに対する藩の重臣や目付の対応が主でそれが見どころになっている。

 次男の嫁の初の役どころが最後に自死した本人から女医伊都子にあてた手紙によって明かされるのだが、初と伊都子とのかかわりあいや考え方をそれ以前に描写しておけば、より厚みのある作品になったのではないかと思った。

 しかし作者はこの作品を、手紙を読んだ伊都子が「ゆっくりと彼方に飛び去る白鷺の幻影をいつまでも見続けていた」と記したところで終了している。それはこの小説の主題を初の手紙としてまとめるとともに、本の表題を「風のかたみ」にするための布石だったのかもしれない。
 

(2)墨龍賦     葉室 麟    2017年2月発行

Img_5628_2 この本は「風のかたみ」の次に読んだ。内容は海北友松(かいほうせいしょう)という絵師の物語である。安土桃山時代に大きな足跡を残した絵師は狩野派の隆盛をもたらした狩野永徳とそれに対抗し、松林図屏風で知られる長谷川等伯の2巨人が知られているが、この墨龍賦という絵師のことは知らなかった。

 今年の春、京都国立博物館で開館120周年記念特別展覧会海北友松展が開催され40日の会期中16万人の入場者があったということで、再認識した人も多かったと思う。

 長谷川等伯については2012年(平成24年)9月に安倍龍太郎が「等伯(上・下)」を発行し直木賞を受賞した作品がある。また狩野永徳については「利休にたずねよ」で直木賞を受賞した山本兼一が2013年(平成25年)4月に発行した「花鳥の夢」という作品がある。

 この両作品は発行年月が近かったこともあり、両者のライバル関係がそれぞれの立場から描かれているので興味深く読めた。「花鳥の夢」には友松のことも少し書かれていたそうだが、全然印象に残っていない。

 しかし今回の特別展によって、狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山絵画の巨匠といわれるようになった海北友松について、同じく直木賞受賞者の葉室麟が墨龍賦(ぼくりゅうふ)という作品に仕上げたので、3者3様の生き方を知ることが出来た。

 海北友松は浅井家の家臣の家に生まれたが父が戦死したため幼くして東福寺に入り、ここで狩野派の絵画を学んだ。また生涯の友になる明智光秀の家臣斎藤内蔵助に逢う。

 やがて狩野派の絵師として永徳に仕えることになった。永徳は信長に見出され安土城全体に障壁画を描いたが、明智光秀に暗殺されると精魂込めて描いた障壁画も安土城と共に焼失してしまった。

 しかしその後秀吉に見出され、聚楽第の障壁画を描くなどして狩野派の棟梁としてその発展に尽力していたが天正18年(1590)48才で倒れ、不帰の人となった。

 信長の死後狩野派から離れていた友松は昔からの知り合いだった安国寺恵瓊を訪ね、建仁寺の襖絵や障壁画を描いたのは慶長4年(1599)友松66才で、永徳がなくなってから9年後のことである。

 その後も大名家との出入りより朝廷や文人との交わりを深め、悠々自適に過ごしながら絵を描き続け、慶長20年83才で亡くなった。

 友松があまり知られていないのは現在の残されている作品で重要文化財が10点以上もあるのに国宝が1点も無いせいもあるのかも知れない。しかし「墨龍賦」を読み、作品を写真で見ることによって海北友松という絵師のことを知ったのは大きな収穫だった。

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       (写真は建仁寺方丈北面の雲竜図)---クリックすると大きくなります

2017年10月 4日 (水)

花畑・菜園便り(7)

 「花畑・菜園便り」の8月と9月の花畑・菜園の報告である。

[ 花畑 ] 8月末

Img_5414Img_5417Img_5437 いつの間にか10月になり、秋の気配が漂う候になってしまった。8月の花壇は7月の延長の花が多かったが、それでも8月末になると秋の草花が目に触れるようになる。マリーゴールドの近くには百日草が大きくなってきており、花壇を華やかに彩っている。(写真は百日草3景)

Img_5413aImg_5418aImg_5559Img_5558Img_5416_2 またキバナコスモスが黄色い花を咲かせ、鶏頭が赤や白い花をのぞかせる。(写真はキバナコスモス3景、鶏頭2景)

Img_5419Img_5434Img_5438Img_5439 秋のひたち海浜公園を赤く彩ることで有名なコキアを昨年2株買ったきた。そこから採れた種を育てた2代目コキアもだいぶ大きく、丸くなってきており、間もなく色づきそうだ。

 8月末には家の前にある備前堀の先の田んぼの稲も黄色く色づき始め、9月半ばには稲刈りが始まりそうだ。(写真はコキア2景、黄金色の稲2景)

Img_5422_2Img_5421Img_5412Img_5433Img_5441_2Img_5442_2Img_5549_2 一方で5月から咲き始めているペチュニアはまだまだたくさんの花を咲かせており、サルスベリ、ムクゲのような木々も花盛りである。(写真はペチュニア2景、サルスベリ3景、ムクゲ2景)

[ 花畑 ] 9月末

Img_5541Img_5551Img_5548Img_5537Img_5547 9月の半ばを過ぎるとキバナコスモスはだんだん秋のコスモスに代わりススキの穂も見えてくる。(写真はキバナコスモスと普通のコスモス、普通のコスモス4景)

Img_5569_2Img_5545Img_5554Img_5571Img_5575a 紫のアメジストセージが咲きだした。カキの実も色づき始めたが渋柿である。
鉢植えの菊の花はお彼岸に間に合った。(写真はアメジストセージ、コスモスと柿の木、柿の木、菊2景)

Img_5553Img_5562_2 田んぼの稲もすっかり刈り取られたが台風で倒れた稲はまだ刈られていない。コシヒカリは倒れやすいらしい。

(写真は刈り取られた田んぼ、倒れた稲)

 

 

[ 菜園 ]

Img_5447Img_5564Img_5565Img_5566Img_5567 菜園の方のキュウリ、ナス、トマトはそろそろ終わりである。ミニトマトとピーマンはまだ採れている。ことにミニトマトはこの光具合でもわかるように以前より甘みも増して美味である。

今年のスイカもおいしかったが、7月の雨の影響で20個くらいは大きくなったものの、半数近くは収穫前に腐って食べられなかったのは残念だった。

今、苗が植えてあるのは大根と虫よけネットで覆ったレタス、白菜、ブロッコリーである。(写真はミニトマト、大根苗、レタス苗、白菜苗、ブロッコリー苗)

(この項終わり)

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