日記・コラム・つぶやき

2017年12月 1日 (金)

伊東潤の「武士の碑」、「西郷の首」を読んで

 作者伊東潤は、「西郷隆盛と明治維新三部作」として、下記の3作品を発行した。

 ① 西郷隆盛の側近だった村田新八の視点から描いた2015年7月発行の「武士の碑」。

 ② 西郷と袂を分かち、大久保側に付いた川路利良の視点からの2016年12月発行した「走狗」。

 ③ そして西郷の首を発見した男とその親友だった大久保利通を暗殺した男との二人の加賀藩士の視点から描いた2017年9月発行の「西郷の首」。

 上記の3作品によって明治維新とは何だったのか、西郷隆盛という人物はどう評価すればよいのかを問いかけている。    

 この3作品のうち、「走狗」は西郷への思慕からスタートし戊辰戦争を戦ったが、やがて西郷から離れて大久保側に付いて西南の役を戦い、警察機構を構築して初代大警視となった川路利良の話で、今年(2017年) 3月のブログで紹介しているので、今回は他の2作品について紹介したい。

「武士の碑(いしぶみ)」

Img_5813 西郷と大久保の後継者と目されていた村田新八は、岩倉使節団の一員として渡欧し、大久保らの帰国後もフランスに在住していたが、西郷下野の報を受けて急遽帰朝した。村田新八は以前から西郷と大久保との争いを仲裁していたので、何とかしようと思ったのである。西郷は鹿児島に帰っていたので、村田も故郷鹿児島に戻った。

 大久保たちの新政府は、明治9年に軍人と警察官以外は帯刀を禁ずる廃刀令と士族の家禄を公債証書で支給し家禄制度を廃止することなどの改革を行ったので、士族の物心両面で大きな打撃は大きく、その不満から熊本の神風連の乱、秋月藩の乱、長州萩の乱などが起きたがいずれも短期間で鎮圧された。

 しかし明治10年になって大久保の挑発に桐野利秋らが暴発し私学校生徒による火薬庫襲撃に端を発し西南戦争が始まった。

 当初薩軍は熊本鎮台を占領し、そこを橋頭保にして各地の士族の決起を待ち、中央政府と交渉するつもりだった。しかし激しい戦闘の末、薩軍は熊本鎮台を占領できず、田原坂の激闘などを経て撤退に撤退を重ね、鹿児島城山で最期を迎える。。その重苦しい話を処々に村田のパリ時代の挿話を挟んで緩和していく。

 そしてこの作品の裏に流れる重低音は「いかに死ぬべきか」ということであり、また最後の文にあるように武士の時代の終焉を告げるということだった。
 
「西郷の首」

Img_5627 三部作の最後の作品が「西郷の首」である。幕末の加賀藩は最大の外様藩だったが、藩論は統一されず当初幕府側に付いて尊攘派の人材を粛正し、それが仇となって後に新政府軍に属しても藩をリードしていく人物に恵まれず、新政府発足にあたっても指導的地位には就けなかった。

 加賀藩の足軽だった島田一郎と千田文次郎は幼馴染みだったが二人とも東北諸藩との戦いに従軍して北陸線戦で戦った。明治新政府が発足し、廃藩置県、徴兵令などにより新政府が日本全土を直接統治する体制になった。

 島田と千田はそれぞれ軍隊に入ったが、島田は軍隊に馴染めずやがて困窮した士族を救うために武装蜂起を考えるようになった。しかし明治10年に西南戦争が始まり、陸軍中尉になっていた千田文次郎は政府軍の一員として従軍し、城山での戦いで西郷隆盛の首を見つけ出してしまう。

 一方金沢で薩軍の挙兵を聞いた島田一郎らはそれに呼応して決起しようと同志に呼び掛けたが、武装蜂起に同意するものは少なく、そのうちに西郷の死を知って武装蜂起は諦め要人暗殺を考えるようになった。そして親友の千田文次郎の説得にも耳を貸さず紀尾井坂の変で大久保利通を暗殺してしまうのである。

 幕末から明治初期の動乱を脇役に甘んじた加賀藩の足軽だった二人の眼を通して、新政府側、反政府側それぞれの視点から明治維新は何だったのかとその功罪を描いた秀作である。

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(この項終わり)

2017年11月10日 (金)

山の家でピザつくり       

 平成29年(2017)11月3日。所属クラブであるホームページの会のメンバー6人で講師のKさんの香林庵と名付けられた山の家に行き、そこでピザを作り、食べながら懇親会を催すことになった。

Pa01Pa02 Kさんは約20年前に茨城県常陸太田市の山中に600坪の山林を購入し、それを開拓して畑を作り、山小屋風の作業小屋を作り、ピザを焼く窯や竹炭を作る窯などをほとんど家族だけで作り上げたということである(写真は香林庵の建物とピザの窯〔向かって右側〕と竹炭を作る窯〔向かって左側〕)

Pa03 前夜の雨も上がり、好天の中を大甕駅から同じメンバーの車に同乗させて貰い、山道を登ること約30分弱で到着した。入口に通ずる道路は坂道が急だったので上れず、下の少し広い道路の隅に置いて数百メートルの小径を登ると開けた畑があり、そこが香林庵という山の家だった。(写真は入り口付近からの眺め)

Pa04Pa05Pa06 山の家は一部本職の手伝いを受けたそうだが、ほとんど素人で作ったという立派な建物である。中にあるピザの窯の前で、Kさんがすでに火を燃やして窯を温めてくれていた。通路に沿って菊がたくさん花をつけていた。(写真はメインの建物、火を燃している窯、東通路から眺めたメインの建物)

Pa07Pa08 前方は竹林で後方は松やクヌギなどの山林に囲まれ、裏の方にはシイタケを栽培する原木が立掛けられており、また蕨やタラの芽などの山菜を採る一隅がある。山の家に沿ってテーブルと腰掛の付いた庭テラスが設置されていて自然の光を浴び、そよ風を受けながら食事などが出来るようになっている。(写真は蕨の生える場所、広々とした庭テラス)

Pa09Pa10Pa11 その奥には大きなビニールハウス風のネットで囲まれたブルーベリー畑があり、食べきれないほど沢山の実がなるそうである。前方の畑には大根や白菜、ブロッコリーなどが植えられ、よく手入れされている。畑の先は竹林で、タケノコが取れるようになっており、自然の恵みを満喫できる山の家である。(写真はブルーベリー畑、野菜畑、竹林)

Pa12 一回り庭を見せて貰った後、早速ピザ作りを始めた。本格的にピザを作った人はKさんしかおらずその指導を受けて、料理教室に行った人やソバつくりをやった人がいたのでその人を中心にして、すでにミックスされた粉を使って生地を作ることから始めた。(写真は生地作り)

Pa13Pa14Pa15 生地を練り上げ、団子にしてしばらく発酵させ、その後めん棒で生地を広げる。次にソースを塗り広げて、ねぎ、トマト、ハム、ピーマン、サラミソーセージ、チーズなどをトッピングして窯に入れて焼くのである。(写真は丸めて発酵中の生地、めん棒で生地を伸ばしソースを塗り広げているところ、トッピング作業をしているところ、トッピング完了の生地)

Pa16 Pa17Pa16Pa19_3Pa20_2   トッピングしたピザ生地をパーラーという道具で窯に入れる。(写真はパーラーに粉をふりかけ右端の生地を乗せるところ、パーラーに乗せた生地2景、窯に入れたパーラー2景)

Pa21Pa22_2Pa23Pa24Pa25_2 焼けるまで数分待って、裏側が焼ければ出来上がりで皿に移す。それを準備した枚数だけ繰り返すので大変である。(写真は窯の中の生地、同じく焼け具合を見るところ、パーラーから皿に移すところ、出来上がったピザ2景)

Pa26 今回は12枚焼く予定で、途中火力が弱くなったので6枚終わったところで小休止にした。ちょうど昼近くなったので、外の庭テラスで飲み物やほかの食べ物を出して昼食になった。(写真はピザやその他の食べ物や飲み物)

Pa27Pa28Pa29 一休みした後、残りの6枚を焼き、その後、Kさんが作ったシイタケを頂き、ビールやワインを飲み、いろんな話に花を咲かせた。今日は風もなく、日の光を全身に浴びて幸せな気分に満ちた一日だった。(写真は焼いたシイタケ、のどかな苑内風景2景)

(この項終り)

2017年10月30日 (月)

「風のかたみ」、「墨龍賦」を読んで

「葉室 麟」の作品を2件続けて読んだのでその読後感を記す。

(1)風のかたみ    葉室 麟    2017年3月発行

Img_5583_3 この本は今までの葉室麟の作品と違って女性がメインで、ミステリー仕立ての小説である。本の表紙裏に「九州豊後・安見藩の女医である桑山伊都子は、目付方の椎野吉左衛門から藩の重臣である佐野家一族の女たちを“生かす”よう命ぜられる。佐野家当主の了禅と一族の男子は藩主に叛旗を翻し、ことごとく上意討ちとなっていた。

生き残った了禅の妻ら佐野家の女たちは白鷺屋敷に軟禁されており、伊都子は傷を負った女たちの治療も担っていた。佐野家の嫁や女中のなかに懐妊している女子がいるらしく、安見藩お世継ぎ問題とも関わりがあるようだ-----」うんぬんと書いてある。

 この表紙裏にある話の通りに女医桑山伊都子が監視役を兼ねて白鷺屋敷に入り、了禅の妻、息子の嫁2人と孫娘、及び3人の女中の女ばかりの家で生活を共にしてその内情を知っていく。また怪事件が発生し死人が出るなどして藩の目付方に対してどう対処するか思い悩む。

しかし伊都子の役割は狂言回し程度で、話の大筋はお家取り潰しの危機の中でどうやって子供を守れるかを考え、女が生きるためも戦いだと策をめぐらした了禅の妻のきぬと次男の嫁の初を軸とする佐野家の女性たちの行動と、それに対する藩の重臣や目付の対応が主でそれが見どころになっている。

 次男の嫁の初の役どころが最後に自死した本人から女医伊都子にあてた手紙によって明かされるのだが、初と伊都子とのかかわりあいや考え方をそれ以前に描写しておけば、より厚みのある作品になったのではないかと思った。

 しかし作者はこの作品を、手紙を読んだ伊都子が「ゆっくりと彼方に飛び去る白鷺の幻影をいつまでも見続けていた」と記したところで終了している。それはこの小説の主題を初の手紙としてまとめるとともに、本の表題を「風のかたみ」にするための布石だったのかもしれない。
 

(2)墨龍賦     葉室 麟    2017年2月発行

Img_5628_2 この本は「風のかたみ」の次に読んだ。内容は海北友松(かいほうせいしょう)という絵師の物語である。安土桃山時代に大きな足跡を残した絵師は狩野派の隆盛をもたらした狩野永徳とそれに対抗し、松林図屏風で知られる長谷川等伯の2巨人が知られているが、この墨龍賦という絵師のことは知らなかった。

 今年の春、京都国立博物館で開館120周年記念特別展覧会海北友松展が開催され40日の会期中16万人の入場者があったということで、再認識した人も多かったと思う。

 長谷川等伯については2012年(平成24年)9月に安倍龍太郎が「等伯(上・下)」を発行し直木賞を受賞した作品がある。また狩野永徳については「利休にたずねよ」で直木賞を受賞した山本兼一が2013年(平成25年)4月に発行した「花鳥の夢」という作品がある。

 この両作品は発行年月が近かったこともあり、両者のライバル関係がそれぞれの立場から描かれているので興味深く読めた。「花鳥の夢」には友松のことも少し書かれていたそうだが、全然印象に残っていない。

 しかし今回の特別展によって、狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山絵画の巨匠といわれるようになった海北友松について、同じく直木賞受賞者の葉室麟が墨龍賦(ぼくりゅうふ)という作品に仕上げたので、3者3様の生き方を知ることが出来た。

 海北友松は浅井家の家臣の家に生まれたが父が戦死したため幼くして東福寺に入り、ここで狩野派の絵画を学んだ。また生涯の友になる明智光秀の家臣斎藤内蔵助に逢う。

 やがて狩野派の絵師として永徳に仕えることになった。永徳は信長に見出され安土城全体に障壁画を描いたが、明智光秀に暗殺されると精魂込めて描いた障壁画も安土城と共に焼失してしまった。

 しかしその後秀吉に見出され、聚楽第の障壁画を描くなどして狩野派の棟梁としてその発展に尽力していたが天正18年(1590)48才で倒れ、不帰の人となった。

 信長の死後狩野派から離れていた友松は昔からの知り合いだった安国寺恵瓊を訪ね、建仁寺の襖絵や障壁画を描いたのは慶長4年(1599)友松66才で、永徳がなくなってから9年後のことである。

 その後も大名家との出入りより朝廷や文人との交わりを深め、悠々自適に過ごしながら絵を描き続け、慶長20年83才で亡くなった。

 友松があまり知られていないのは現在の残されている作品で重要文化財が10点以上もあるのに国宝が1点も無いせいもあるのかも知れない。しかし「墨龍賦」を読み、作品を写真で見ることによって海北友松という絵師のことを知ったのは大きな収穫だった。

Photo

       (写真は建仁寺方丈北面の雲竜図)---クリックすると大きくなります

2017年10月 4日 (水)

花畑・菜園便り(7)

 「花畑・菜園便り」の8月と9月の花畑・菜園の報告である。

[ 花畑 ] 8月末

Img_5414Img_5417Img_5437 いつの間にか10月になり、秋の気配が漂う候になってしまった。8月の花壇は7月の延長の花が多かったが、それでも8月末になると秋の草花が目に触れるようになる。マリーゴールドの近くには百日草が大きくなってきており、花壇を華やかに彩っている。(写真は百日草3景)

Img_5413aImg_5418aImg_5559Img_5558Img_5416_2 またキバナコスモスが黄色い花を咲かせ、鶏頭が赤や白い花をのぞかせる。(写真はキバナコスモス3景、鶏頭2景)

Img_5419Img_5434Img_5438Img_5439 秋のひたち海浜公園を赤く彩ることで有名なコキアを昨年2株買ったきた。そこから採れた種を育てた2代目コキアもだいぶ大きく、丸くなってきており、間もなく色づきそうだ。

 8月末には家の前にある備前堀の先の田んぼの稲も黄色く色づき始め、9月半ばには稲刈りが始まりそうだ。(写真はコキア2景、黄金色の稲2景)

Img_5422_2Img_5421Img_5412Img_5433Img_5441_2Img_5442_2Img_5549_2 一方で5月から咲き始めているペチュニアはまだまだたくさんの花を咲かせており、サルスベリ、ムクゲのような木々も花盛りである。(写真はペチュニア2景、サルスベリ3景、ムクゲ2景)

[ 花畑 ] 9月末

Img_5541Img_5551Img_5548Img_5537Img_5547 9月の半ばを過ぎるとキバナコスモスはだんだん秋のコスモスに代わりススキの穂も見えてくる。(写真はキバナコスモスと普通のコスモス、普通のコスモス4景)

Img_5569_2Img_5545Img_5554Img_5571Img_5575a 紫のアメジストセージが咲きだした。カキの実も色づき始めたが渋柿である。
鉢植えの菊の花はお彼岸に間に合った。(写真はアメジストセージ、コスモスと柿の木、柿の木、菊2景)

Img_5553Img_5562_2 田んぼの稲もすっかり刈り取られたが台風で倒れた稲はまだ刈られていない。コシヒカリは倒れやすいらしい。

(写真は刈り取られた田んぼ、倒れた稲)

 

 

[ 菜園 ]

Img_5447Img_5564Img_5565Img_5566Img_5567 菜園の方のキュウリ、ナス、トマトはそろそろ終わりである。ミニトマトとピーマンはまだ採れている。ことにミニトマトはこの光具合でもわかるように以前より甘みも増して美味である。

今年のスイカもおいしかったが、7月の雨の影響で20個くらいは大きくなったものの、半数近くは収穫前に腐って食べられなかったのは残念だった。

今、苗が植えてあるのは大根と虫よけネットで覆ったレタス、白菜、ブロッコリーである。(写真はミニトマト、大根苗、レタス苗、白菜苗、ブロッコリー苗)

(この項終わり)

2017年8月 2日 (水)

花畑・菜園便り(6)

 
 「花畑・菜園便り」の7月の花畑・菜園の報告である。

[ 花畑 ]

Img_4903Img_4976Img_4918 今月紹介するのは「クレオメ」である。あたかも風に吹かれてちょうちょが舞っている風情なので、西洋風蝶花の別名がある。花言葉も「秘密のひととき」「あなたの容姿に酔う」という二つあるそうである。7月から9月に楚々として咲く花である。一回種を蒔くと毎年こぼれ種が芽を出し楽しませてくれる。
(写真はクレオメ3景)

Img_4881Img_4882Img_4884Img_4875Img_4935 「桔梗」の薄紫と白色の花も咲き、更に「グラジオラス」がいろんな色の花を咲かせる。グラジオラスは支柱を立てたり、花柄を捨てたりする手間が大変で、植えっ放しになってしまうのだが、毎年同じ場所で花を咲かせてくれている。(写真は桔梗2景、グラジオラス3景)

Img_4965_2Img_4966Img_4967Img_4963 「おしろい花」という花がある。この花は、朝早くか夕方の太陽の光が弱い時しか花が開かないが、色彩豊富な花色があり華やかである。いったん種から育てると、翌年は球根と種の両方から増えていく繁殖力旺盛な花である。(写真はおしろい花4景)

Img_4900Img_4977Img_4868Img_5326Img_5338Img_5325  またユリ科の「カサブランカ」が良い香りの大輪の花を咲かす。「ペチュニア」や「サファニア」も可憐な花を咲かせている。またプランターには「アメリカンブルー」と「ペチュニア」、花壇には「ポーチェラカ」が3本ある。これも毎年増やしていくつもりでいる。(写真はカサブランカ、路地植えのペチュニア、サファニア、プランター植えのアメリカンブルー、プランター植えのペチュニア、路地植えのポーチェラカ)

Img_4904Img_4890_2 「クレマチス」は以前から咲いている紫と白の花以外に、小さな赤い花をつける品種が咲き始めた。 
(写真は紫と白のクレマチス、小さな赤い花のクレマチス)

 

Img_5323Img_5342Img_4877 「ダリヤ」は大輪の物と小さい花がたくさん咲く種類のものとが咲いている。夏の花も真っ盛りである。(写真は大輪のダリヤ2景、小輪のダリヤ)

 

Img_4887Img_4930Img_4916Img_5333 「木槿(ムクゲ)」が赤と白そしてピンクの花をたくさん付けている。「マリーゴールド」と「百日草」の花畑もきれいに咲いている。間もなくコスモスも咲き始めることだろう。 (写真は木槿(ムクゲ)3景、マリーゴールドと百日草の花畑)

[ 菜園 ]

Img_4886_2Img_4879 菜園の方は、玉ねぎの後「ジャガイモ」もやっと全部収穫できた。今年は男爵とメークインだけを植えたが、昨年の例では我が家の玉ねぎとジャガイモだけで春先まで食べられた。

(写真は菜園で採れた野菜、男爵とメークインのジャガイモ)

 

Img_4878Img_4960Img_4921 菜園の方は「キュウリ」、「ナス」、「トマト」、「ミニトマト」、「ピーマン」、は順調に生育し、毎日どれかは収穫出来ている。

(写真はキュウリ、トマト、ミニトマト)

 

Img_4919Img_4926 「枝豆」は毎日1株から2株収穫して、ビールのつまみになっている。そら豆を毎日食べていた時から半月位の間があったが、またしばらくは菜園の豆をつまみながらビールが飲める。(写真は枝豆2景)

Img_5336 Img_5337  「スイカ(小玉)」も順調に育っており、7月は4個収穫できた。今年も甘いスイカが出来た。(写真はスイカ2景)

 

(この項終り )

2017年7月25日 (火)

今野敏の新刊「継続捜査ゼミ」「回帰」 を読んで

 隠蔽捜査シリーズなどの警察小説で知られる今野敏の小説は以前から愛読しているが、最近2冊の新刊を読んだ。従来の今野敏の小説とだいぶ違った内容だったので、それの紹介をしたい。

 継続捜査ゼミ           2016年10月19日発行

 回帰-警視庁強行犯係・樋口顕   2017年 2月20日発行

(1)「継続捜査ゼミ」

Konno1_2 今野敏の警察小説は平成19年に読んだ「隠蔽捜査」以来ファンになり今回まで50冊近く読んでいる。「隠蔽捜査」シリーズは現在最終回の「隠蔽捜査6去就」までの8作品はすべて読んだ。

 今野敏の小説は捜査員の悩みや思考過程が文の中に多く出てくる内容の小説が多いが、それが深刻にならず、また平易な文章なので読み易いため、疲れた時や気分転換を図るときに読むことが多い。

  今回の「継続捜査ゼミ」は今までの今野敏の小説ジャンルにないもので、元警察学校の校長が退官した後、知人の伝で女子大の教授になり、継続捜査ゼミという迷宮入りした事件を考えるゼミを立ち上げ、個性豊かな女子大生5人のゼミの学生と15年前の未解決事件を思いがけない発想から解決していく話で、その間大学内で起きる事件も並行して発生し、それを解決していく話もあり、現在発生した事件を追いかける通常の警察小説とは異なる異色の作品である。

  課題が迷宮入りの事件の調査のため資料を調べるところから始まるので、息詰まるような緊迫した雰囲気はなく、素人に教えるような描写が多かったが、それはそれで警察小説の原点を復習している気分で読めた。

 事件が発生し、その解決に全力を挙げる警察小説も面白いが、この様な事件から離れた部分が多いストーリーを描く小説もまた楽しい。

(2)「回帰-警視庁強行犯係・樋口顕」

Img_4931 この小説は警視庁強行犯係に所属する樋口顕を主人公にした警察小説のシリーズで、1996年から2000年にかけて3作品が刊行され、最近になって2014年に「廉恥」という作品が14年ぶりに刊行されている。その後またしばらく途絶えて今年(2017年)2月に5作目の「回帰」が刊行されたのだが、刊行されるまでの期間が長いのでシリーズものとして読むよりも別な話として読んでも違和感は無い。

 今回は日本で発生したテロに対して公安と刑事部の軋轢がありながら次第に協力して第2のテロ防止に尽力して行く過程が読ませどころである。

 また従来の警察小説での公安部と刑事部が絡んだ事件では公安は情報を独り占めしたがるので、刑事部も独自のやり方で自分たちの事件に迫るという公安と刑事との対立をメインにしたものが多かったが、この小説は双方が情報を共有し、協力して事件を解決するストーリーになっているのが目新しい。

 ストーリーのなかにスリーパー.という言葉が出てくるが、これはスリーパーエージェントのことで「警察官、スパイ、特殊部隊員、ゲリラ、テロリストなどで、密かに活動したり、いざという時に奇襲攻撃を仕掛けるために、一般人や工作対象組織構成員などになりすます者」を意味するということである。このスリーパーが重要な役割を持ち、テロリスト側とそれを追い詰める側の両方にスリーパーの役割をする者が居て話を複雑にしている。

 海外のテロリストの侵入、ツイッターを悪用した犯罪計画、C4という新しい爆薬による爆破事件、SSBC(警視庁捜査支援分析センター)による解析など以前では考えられなかった新しい要因が駆使されたストーリーは、今後日本だけではなく通信や情報、人の交流などの国際化が進むなかで、犯罪小説もまた日本だけではなく国際的なつながりを持ったケースが更に増加していく前兆なのかもしれない。

(この項終わり)

 

2017年5月31日 (水)

「羊と鋼の森」「蜜蜂と遠雷」 を読んで

 平成29年(2017)の本屋大賞は「蜜蜂と遠雷」に決まった。昨平成28年(2016)の本屋大賞は「羊と鋼の森」である。昨年7月に、もうそろそろ空くだろうと思って図書館に予約してから9ヶ月目の本年4月にやっと借りられた。もう今年度の本屋大賞が決まってから半月位後のことである。

 この分では今年の本屋大賞の「蜜蜂と遠雷」は直木賞も併せて受賞したことだし、図書館に予約しては1年以上後ではないと読めないなと思って買うことにした。

1. 本屋大賞について

 ご承知のように、本屋大賞は他の文学賞と違って新刊書を扱う書店の店員の投票によって受賞作を決める賞であり、平成16年(2004)にスタートしている。その第1回受賞作は小川洋子作の「博士の愛した数式」で、友愛数、完全数などいろいろな数え方があることを初めて知った。その後寺尾聰の主演で映画化されたのでそれも見に行った覚えがある。

 第2回大賞は今回2度目の受賞をした恩田睦作の「夜のピクニック」である。この行事は小生の母校でもある茨城県の水戸一高の夜行軍をモデルにしてあり、小生も奥久慈の常陸大子からや福島県の勿来海岸から水戸まで歩いた。その頃はまだ女子生徒は1年後輩に2名初めて入学したばかりで、また夜行軍には不参加であり、男子だけでひたすら歩き、走った思い出しかなく、ピクニックなどというしゃれた感じはなかった。

 この2冊は本屋大賞がまだ知名度がなかったせいか、予約などしなくてもすぐ借りられた。その後しばらくは受賞作に読みたい本がなく、平成22年(2010)の第7回受賞の冲方丁作の「天地明察」と平成23年(2011)の第8回受賞東川篤哉作の「謎解きはディナーのあとで」は発売後半年くらい後に借りて読んだ。

 平成24年(2012)の第9回受賞の三浦しをん作「舟を編む」は久し振りに読みたいと思って予約して読んだ。この本は中型の国語辞典を新しく発売するために苦闘する編集員の話で、真剣に課題を一つづつクリアしていくそれぞれの編集者の仕事に向き合う姿勢は、今回の「羊と鋼の森」と同じだと感じた。

 しかし一番面白く読めたのは「村上海賊の娘」(平成26年(2014)の第11回受賞、和田竜作)である。戦国時代瀬戸内海の村上水軍の娘が信長に追い詰められた石山本願寺を救おうとする第一次木津川口の戦いを描いた作品である。和田竜の本はそれ以前に「のぼうの城」「忍びの国」などを読んでいたので、本屋大賞とは関係なく受賞以前に読んだ。これは村上水軍が使用した炮烙玉という火薬の玉を相手の船に多数投げ込んで、織田方水軍を壊滅させた戦いで、両軍の作戦の立て方や戦闘の場面などがリアルに表現されており、織田信長を一時的にせよ破ったことが痛快だった。

 平成27年(2015)の第12回受賞の「鹿の王」は前年(2014)国際アンデルセン賞を受賞した上橋菜穂子の作品である。この作家は児童文学者として「守り人」や「獣の奏者」シリーズなどで知られており、綾瀬はるか主演のテレビドラマが「精霊の守り人」最終章として、11月から放映予定である。

 「鹿の王」は故郷を守るために戦士となった主人公は敗れて奴隷に落とされてしまうが、ある時乱入してきた奇妙な山犬たちがもたらした謎の病のせいで、他の奴隷たちは死んでしまうが生き延びた主人公は病のせいで変化し、山犬と同じ感じ方ができるようになる。そして病に侵された山犬たちとともに山奥深く入っていく。一方もう一人の主人公は医術師で同じ病をなくすべく努力している。その間に出てくる多くの人々との結びつきなどが絡み合ったエンターメントで考えさせられることが多かった。

本屋大賞の本を読んだ感想はいくつか「イバイチのコラム」に載せてある。

 舟を編む         平成24年に読んだ本(3)
 村上海賊の娘      平成25年後半印象に残った本
 鹿の王          平成27年後半印象に残った本
 海賊と呼ばれた男   平成28年3月印象に残った本

2.「羊と鋼の森」について

Img_4065 この本はピアノの調律師を目指した少年が、目指したきっかけとその後の成長物語である。ピアノの調律とは単に狂ってしまった音を正しく修正するだけが仕事かと思っていたが調律師がピアニストの演奏をベストに維持するためにピアノを最高の状態に仕上げることが出来るとは思っていなかったので新鮮な驚きだった。

 ピアノを弾く人はクラシック音楽のピアノソナタやピアノ交響曲などを弾くことを目指すのだろうが、小生が昭和25~27年の高校生時代の頃は経済的にもピアノを弾くなどとは思いもよらず、せいぜいラヂオでクラシック音楽を聴くのが精いっぱいだった。クラシックのレコードなど持っている人さえも少なかった時代である。

 たまたま家にはクライスラー演奏のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲があった。裏表3枚組の直径30cm(12インチ)のレコードアルバムである。それをクラシックが好きな友人たちと何回も聴いていた。その後、友人が買ったサラサーテの「チゴイネルワイゼン」、サンサーンスの「序曲とロンドカプリチオーソ」などの小品のヴァイオリン曲もよく聞いた。直径17cm(7インチ)のEP盤だったかと思うが、そのヴァイオリンのふくよかな音色や激しくまた静かで物悲しい情景を作り出す演奏を聴いてすっかりヴァイオリン曲のファンになってしまった。

 その後暮らしに余裕が出来てきてからLPレコードを少しづつ買い始め、ヴァイオリンばかりでなくピアノ曲なども増えてきた。また子供の成長に伴い、アップライトピアノを購入してピアノ教室に行かせたりもしたが、この本の冒頭にある「森のにおいがする」とか、ピアノの音から情景が想像されるとは思い浮かばなかった。しかし初めてヴァイオリンの音色を聞いた時の明るく前向きな音色やその後の物悲しい旋律に心を動かされたことを思い出してそんな感じなのかなと思った。

 「ピアノとは銀盤を叩くとハンマーが連動して垂直に張られた弦を打ち、音が鳴る仕組みになっている。ハンマーは羊毛を固めたフェルトで出来ており、これが固すぎてもやわらかすぎてもよくない。固いとキンキン鳴るしやわらかいともわっとした音になる。ハンマーの状態を整えるために、目の細かいやすりで削ったり、針を刺して弾力を出したりするのが整音の決め手になる。」と文中にあるが、そのピアノの弦の鋼とハンマーの羊毛とがこの本の表題になっている。

 本文中に原民喜の言葉として「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」というのがあると先輩の調律師に言われるが、その「文体」という言葉を「音」と言い換えれば、そのような音を表現できるようなピアノの状態にしていくことが調律師の目指す仕事だということがだんだん分かってくる。

 この本の文体は素直で読みやすい。原民喜の言葉そのままに一気に読み進みられる。目標に向かって先輩に言われたように焦らずにこつこつと新しい発見や経験を身に着けながら一人前の調律師に向かって進んでいく主人公は微笑ましく応援したくなる。登場人物は真剣に自分のなすべきことに取り組み物事を前向きに考える人が多く描かれているので、それだけでは物足りない読者もいるかもしれないが、余分なことを考えずにページをめくってしまえるう本である。

 最後の頃、主人公が素晴らしい才能があると思っている女子高校生がピアニストを目指すことを決意したが、ピアニストを目指す前にその女子高校生が先輩調律師の結婚式のお祝いにピアノを弾くことになり、そのピアノの調律をやることになった。そこで一段腕を上げるのだがその辺は読んでのお楽しみ。

3.「蜜蜂と遠雷」について

Img_4067 この本は3年ごとに開催される芳ケ江国際ピアノコンクールに出場するピアニストたちが優勝を目指していく話である。コンクールは、第一次予選は指定された楽曲の中から三曲、演奏時間20分以内で行い、100名近い応募者が24名に絞られる。第二次予選は指定された楽曲の中から三曲以上とこのコンクールのために作曲された「春と修羅」という曲を演奏時間40分以内に行うことで、12名に絞られる。

 次の第三次予選は演奏時間60分以内で、各自リサイタルを構成し演奏することで6名に絞られるのである。本選は指定されたピアノ協奏曲のうち任意の1曲を選び、オーケストラと共演し、最終順位を決定するという構成である。

 このコンクールは浜松市の浜松国際ピアノコンクールをモデルにし、作者はこのコンクールを4大会、客席で取材したそうである。浜松国際はアジア最高水準と評価されているが、審査委員長をしていたピアニストの故中村紘子の尽力によるところが大きいと、朝日新聞の「天声人語」欄に書いてあった。

 主要登場人物はマサル、亜夜、塵、明石の4名のピアニストで、マサルは人気も実力も高い優勝候補。亜夜は自分を導いてくれた母の死によってピアノが弾けなくなったかつての天才少女。塵は養蜂家の父の手伝いをしながら各地を回っており、正規のレッスンも受けていないが、天才的な音楽の才能がある。明石は音大出だが企業に就職し年齢的にも最後となるであろうコンクール出場を決めた。

 この4人が持つそれぞれの事情や特質の説明をそれぞれの音楽とともに文章でだけ表現しているのがこの本の素晴らしいところである。500ページもある作品を一つのピアノコンクールに関する話だけでまとめており、クラシックにあまり縁がなかった人でもその雰囲気に巻き込まれるに違いない。作者自身もピアノを弾くそうで音楽を文字だけで表現し読者に理解させるという難しさに見事成功していると思う。 

 予選を経るにしたがってお互いが影響し合い、よりレベルの上がった素晴らしい演奏で表現して行くというのは判るが、それを観客も感じて熱烈に拍手を送るということは、ある程度以上のレベルの聴衆が素晴らしい演奏を聞いた時にのみ感じられることだと思うがどうなのだろうか。 

 主要登場人物の一人「塵」が、音楽をもっと開放して世界に連れ出すという話をしていた。世界は音楽で満ちているのに、いつの間にか音楽家、作曲家、演奏家だけのものになってしまっている。昔のように世界に音楽を満ち溢れさせたい。というようなことである。
この本を読んでいると涙が出てくる。音楽のことだけなのに泣くような話ではないと思いながら泣けてくる不思議な体験である。                

 最近はクラシック音楽を聴く機会があまりない。CDも少しは持っているがこの本の課題曲になっているバルト-クやプロコフィエフのピアノ協奏曲などは無いので、CDを購入して聴いてみようかなと思った。

 前回と今回の本屋大賞は両方ともピアノと音楽に関する内容だったが、両者とも面白かった。久し振りにちゃんと音楽を聴いてみたいと思わせるものがあった。

(この項おわり)

2017年5月26日 (金)

花畑・菜園便り(4)

 「花畑・菜園便り」の4回目である。4月はチューリップがたくさん咲いたが、5月になるとチューリップは終わって他の花がいろいろ咲きだしてくる。

Img_4103Img_4101Img_4104Img_4109_2Img_4118 5月初めには藤の花と鈴蘭の花が同時に咲きだした。チューリップに次に咲くのは先月紹介した芝桜と花菱草で、少し遅れて鈴蘭と藤の花が咲きだすのである。 ドウダンつつじは鈴蘭に似た白い花を咲かせる。藤の手前にある花壇にこぼれ種から芽を出したルピナスが1本あったが藤の花が散る少し前に花が咲きだした。1週間ほどで先端まで花がついた。

(写真は鈴蘭、藤の花、ドウダンつつじ2景、ルピナス)

Img_4202Img_4160 日陰ではシオンが花盛りになってきた。水辺に近い庭の端にはアヤメが咲いている。以前東洋一のアヤメの群生地といわれる山梨県櫛形山に行ったとき、5本位買ってきたものが増えて毎年花を咲かせてくれる。

(写真はシオン、アヤメ)

Img_4132Img_4133Img_4134 花菱草は先月より咲くスペースが広がった。赤い石竹の花は小さいので大きな花の点景が似合う。

(写真は花菱草2景、花菱草と石竹)

 

Hana88Img_4151Img_4224 昨年から植え始めたクレマチスは紫、白、濃桃の3種類が咲いた。赤もあるのだがそれはまだ咲かない。

(写真は白のクレマチス、紫と白のクレマチス、濃桃のクレマチス)

Img_4207Img_4209Img_42225月から6月はバラの季節でもある。今あるバラは白のつるバラが1本、ハイブリットが2本、フロリバンダが4本と白のミニバラが1本あるのだが、薬剤散布や剪定が追い付かず自慢できるものではない。

Hana97Hana100Hana101Hana95Hana102(写真は白いつるバラ2景、赤いハイブリットとフロリバ゙ンダのバラの花6景)

 

Hana105Hana107Hana108 菜園の方はイチゴが食べ頃になってきた。鳥よけの赤いネットを張ってある。摘みごろに雨が降るとダメになってしまうので、天気の具合を見ながら何時摘み取るか神経を使う。

(写真はイチゴ3景)

Hana109Hana111_2Hana112Hana113 そら豆も5月18日ころから毎日収穫してビールのつまみにしている。まだヘタの部分は青いが、黒くなってからでは食べ残りが出てしまうので早めに食べ始める ジャガイモと玉ねぎも順調に育っている。来月はその収穫状況が見せられると思う。このところ夏日が続き、毎日の除草が大変である。早く今の時期の気候に戻って欲しいものだ。

(写真はそら豆畑と収穫したそら豆、じゃがいも畑、玉ねぎ畑)

(この項終わり)
      

2017年4月29日 (土)

花畑・菜園便り③

「花畑・菜園便り」の3回目である。前回は3月26日にアップしたのでそれ以来1ヵ月ぶりである。

Img_3983bImg_3986b  菜園の方は2月22日に植え付けたジャガイモが芽を出してだいぶ伸びている。ジャガイモの隣の畝に植えてあるイチゴの花も咲き始めた。畑は水はけが悪いため高畝にしてあるので、耕運機でならすだけではだめで溝部分の土を運び上げねばならず、年寄りには応える作業である。(写真は芽を出したジャガイモ、花が咲いたイチゴ)

Img_3985bImg_3987b ブロッコリーは花が咲きだして収穫時期は過ぎた。冬の間は細い苗だった玉ねぎは暖かくなるにつれすくすくと伸びだした。ソラマメもずいぶん大きくなってきた。アブラムシが、取り付くのを防止するためネットを張って置いたが、背が伸びてネットに収まらないくなってきたので、外してしまった。(写真は玉ねぎ畑、ソラマメ畑)

Img_3989bImg_4000b_2Img_4003bImg_4001b 花木では2本ある花海棠(はなかいどう)が花盛りである。ちょっと上品な感じのピンクの花が沢山咲くが、花言葉は「艶麗」「美人の眠り」だそうで、ほろ酔いで眠そうにしている楊貴妃を玄宗皇帝が見て「海棠の眠り未だ足らず」と言ったことに由来しているという。(写真は花海棠4景)
      
Img_3979bImg_3981bImg_3982bImg_4004b 花畑の方はチューリップがこれまた花盛りである。先月はまだ芽を出したばかりだった赤いチューリップが,黄色いパンジーと紫のビオラの中でわが世の春を謳歌している感じである。
    
Img_4006bImg_4022bImg_4023bImg_4024b 今年はビオラが増えすぎて少しバランスが悪くなってしまったが賑やかに花畑を彩ってくれるので良しとしたい。 (写真はチューリップとパンジーとビオラ8景)

      
Img_3988bImg_4017bImg_4013b 玄関近くの花壇では芝桜が咲きだした。しばらく楽しめそうだ。また今から夏いっぱい咲き続け、毎年夏花壇の主役を務めるる花菱草もあちこちで花をつけ始めた。(写真は芝桜2景と花菱草)


    

Img_4025bImg_4027bImg_4026b 4月は月初めの桜が終わると、気温も上がり我が家でもチューリップをはじめ春の花が咲き始める。菜園の作物もどんどん大きくなっていく。そうなると毎日が除草に追いまくられるようになる。スギナをはじめ雑草の勢いは逞しく最近は畑の面積を減らさないと追いつけなくなりそうである。そうはいっても季節ごとに咲く花を眺めるのも、収穫できた作物を味わえる喜びもまだまだ続けていきたいと思う。(写真はチューリップ畑などの遠景3景)

       (この項終り )

2017年3月26日 (日)

花畑・菜園便り(2)

「花畑・菜園便り」の2回目である。1回目は2月9日にアップしたので、1ヵ月半ぶりである。

Img_3785aImg_3786a 2月末になると菜園の方は馬鈴薯の種芋を植え付ける。今年は2月22日に3畝植え付けた。男爵とメークインだけである。以前は北あかりも植えたが、最近は昔からある上記2品種だけで充分で、つい最近まで食べていた。それぞれ1キログラムを購入して一個の種芋を二つから三つに切り分けて植え付けると一家6人で食べる分には十分である。
 植え付ける2週間前に苦土石灰粒を鋤き込み、1週間前に化学肥料の粒と油粕を鋤き込んだ。今はまだ芽も出ていない畝だけだが、間もなく沢山出てくる筈である。

Img_3783aImg_3784aImg_3782a また春大根と枝豆を植える場所を耕してある。前号で紹介したブロッコリーは頂上の花蕾を収穫した後、側枝の花蕾が沢山出るのでそれの収穫時期である。そら豆も順調に育っている。

Img_3764aImg_3749Img_3750Img_3766aImg_3765a 我が家には水戸市から転入記念に頂いた白梅とピンクの梅の小木があり、2月中頃から花を咲かせ早春の香りをただよわせている。

Img_3761Img_3780aImg_3781a 花畑の方は3月初めからチューリップが芽を出してきており、またこぼれ種から紫のビオラが沢山芽を出し、黄色のパンジーとともに咲いている。

Img_3681aImg_3776aImg_3767aImg_3778aImg_3771a 玄関近くの花壇にはクロッカスが2株花を咲かせた。ムスカリの花も咲き出した。プランターの3種類のパンジーは今を盛りと咲いている。水仙も彼岸には沢山花を咲かせている。

 3月は長い冬の後、やっと巡り来た春を迎える時期である。黄色を主体にした花々を眺めると今年も春が来た事を実感し、4月以降の晴れやかに色とりどりの花を咲かせる草花を想像させ、楽しい気分が湧き上がって来る。

 
(この項終り)

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