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2018年6月20日 (水)

葉室麟の遺作「玄鳥さりて」を読んで

 葉室麟は昨年(2017)12月に66才で亡くなった時代小説家である。デビュー作の乾山晩愁(2005)で歴史文学賞を受賞し、その後、銀漢の賦((2007)で松本清張賞を、そして蜩(ひぐらし)ノ記(2012)で直木賞を受賞している。
 

 玄鳥さりて   葉室麟   2018年1月発売

Img_6558  「玄鳥さりて」は葉室麟の遺作となった時代小説である。

 主人公の三浦圭吾は少年時代、道場で一番の使い手で8歳年上の樋口六郎兵衛の稽古相手になることが多かった。圭吾は稽古に励み、何時しか道場の隼といわれるほど上達した。六郎兵衛は軽輩の出なので、剣の使い手だけでは出世できず、また自分を売り込もうとはせずひっそりと生きていた。その六郎兵衛がある時以前から遺恨を持っていた3人の藩士に襲われたが、逆にその3人を切り殺し遠島になった。

 それから10年が経ち六郎兵衛が許されて帰藩できることになった。その頃圭吾は出世して勘定奉行になり、藩内の派閥争いに巻き込まれるようになってきた。また本藩から養子に来た藩主も親政を考えて派閥争いに首を突っ込んできた。その間いろいろな出来事があったが結末近く、藩主は圭吾が邪魔になると考え、六郎兵衛と果し合いをすることを命じ、同時にどちらかが生き残ったとしてもそれを抹殺しようとした。

 それに対し、果し合いの場で圭吾を葦の茂った水辺のほとりに誘い込んだ六郎兵衛は圭吾に侍を辞め関西に行くことを薦め、用意してあった小舟に圭吾を乗せた。病気のため余命がいくらも無いことを知っていた六郎兵衛は「武士の刀は主君であれ、家族であれ、おのれの命にかえても守りたい大切なひとのために振るうものだ」というせりふを残して藩主を切るべく歩き出すところで終わる。

 玄鳥とは燕のことで、六郎兵衛が圭吾の家の守り神になっているとの意。六郎兵衛は以前親切にされた剣士を守りきれず切腹させてしまったことがあり、圭吾の道場での表情がその剣士にそっくりだったことから、圭吾を生涯友として守ろうと思い定めたのだった。

 葉室麟の小説は、自分の考えを思い定めた後は、たとえ自分の不利益になっても幾多の困難や誘惑を乗り越えて、信じる道を進んで行こうとする作品が多い。また作中に短歌、俳句、漢詩などを取り入れて、それが作品の隠れた主題になっていることも多くある。

 この作品でも「吾が背子と二人し居れば山高み 里には月は照らずともよし」という和歌がその役目を果たしているが、他の作品でも正邪入り乱れるストーリーの中でも一服の清涼剤になっており、また主人公の変わらぬ想いを再認識させる役目を果たしている。

 葉室麟の作品を読むのは平成21年(2009)に「秋月記」「銀漢の賦」を読み始めて以来、この本で丁度50冊目にあたる。人間の欲望に陥る弱さに理解を示しながらも己の生き方を曲げない作品が多く、爽やかな読後感をもたらし余韻を残してくれる。ずっと愛読してきた作者であり寂しい限りである
 

(この項終わり)

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