2018年8月12日 (日)

2018年 水戸市千波湖花火大会

Img_0001 2018年5月3日(金)から5日(日)まで、茨城県水戸市で、第58回「水戸黄門まつり」が開催される。その初日の夜、千波湖花火大会(正式名称「水戸黄門まつり花火大会」)が翌日からの水戸黄門パレード、市民カーニバル、山車巡行、神輿渡御などの祭本番を盛り上げるべく行われる。

 「水戸黄門まつり」は1960年(昭和36年)から七夕黄門まつりとして始まってから今年で58回目になる。花火大会は明治の末の頃東京で行われていた川開き花火に倣って千波沼の沼開き花火として始まったそうで、その第1回目花火大会の打ち上げを担当したのは水戸の野村花火の創業者野村為重という人である。

 野村花火は現在の「野村花火工業㈱」であり、秋田県の大曲全国花火競技大会や茨城の土浦全国花火競技大会などで何度も優勝しており、日本を代表する花火師である。千波湖花火大会もその初回から取り仕切っている。今回の花火大会ではその冒頭に内閣総理大臣賞受賞作品の「昇曲導付五重芯変化菊」などを打ち上げることになっている。

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 今年の千波湖花火大会は4,500発の花火を19:30から20:40までの1時間10分で打上げることになっている。観客数は、昨年は35万人だったそうである。

Img_6860Img_6878Img_6905Img_6838Img_6874Img_6880Img_6889 小生の家は水戸市下市の郊外にあるが、千波湖の花火大会は家の窓から遠くの打ち上げ花火を眺めるだけで、湖畔近くまで行き間近に見ることはなかった。ところが今年は、以前勤務していた会社のOB会で活動しているデジカメクラブが千波湖花火大会の撮影会を行うという連絡があったので、これ幸いとばかり参加をすることにしたのである。

 黄門まつりパレードは平成26年に下市、平成27年に上市のパレードをYou Tubeで構成し、ホームページにアップしてあるが、千波湖花火大会には行くチャンスが無かったので有難かった。また花火の撮影は平成23年に土浦花火競技大会を見に行ったことがあり、これもホームページの「関東・茨城散歩」の中にアップしてある。

 

(画像をクリックすると大きくなります)


Img_0002 今回の花火の構成は特別出演の内閣総理大臣賞受賞作品を打ち上げた後オープニングスターマイン「もっと meet みとちゃん」の後、第1部から第6部までスターマインを含めた花火を打ち上げフィナーレは「千波湖を彩る火の芸術」という超ワイド特大ミュージックスターマインと続く。


 その内、第3部ミュージックスターマイン「維新の光は水戸より昇る」の一部、第4部スターマイン「サマードリームナイト」、第5部ミュージックスターマイン「未来への輝き」、第6部スターマイン「真夏の彩り」のそれぞれ一部と最後の「千波湖を彩る火の芸術」はYou Tubeの動画にして見られるようにした。

 掲載した静止画写真も動画も、CanonのPower Shot SX700 HSというコンパクトデジカメ(通称バカチョン)で撮ったものなので画質などはもう一つだろうがご容赦願いたい。

(この項終わり)

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2018年7月28日 (土)

平成30年 花畑・菜園便り(4)

平成30年の「花畑・菜園便り」4回目です。

 今回は7月の花と野菜の便りです。

【 花畑 】

Img_6711Img_6687Img_6758Img_6759Img_6771 7月末になるとグラジオラスはそろそろ終わりに近くなって来る。

 その代わりに黄花コスモスが咲き始めた。(写真はグラジオラス2景、黄花コスモス3景)

 

Img_6689Img_6733Img_6729Img_6764Img_6763a 球根から育ったダリヤは花も大きい。しかし種から育てたダリヤもいろんな色の花を可愛くつけている。(写真は球根から育ったダリヤ2景、種から育てたダリヤ3景)

 

Img_6695Img_6728Img_6697Img_6699 カサブランカはたくさん花をつけて、しばらく芳醇な香りを庭一杯に漂わせていたが、7月末にはすべて散ってしまった。

 

Img_6706Img_6770Img_6774_3Img_6775_3 百日草、サルビアは種から育てたが、酷暑と雨が降らず水不足になったせいか、なかなか大きく育たない。最近は朝晩水まきをしているが、思うように大きくならず、少し日影があるといいのかと思うがそれも難しい。(写真は百日草2景、サルビア2景)

 

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それに引き換え、ペチュニア、千日紅はうまく育っているがやはり毎日の水やりが欠かせない。(写真はペチュニア5景、ペチュニアと千日紅2景)

Img_6721Img_6761Img_6762Img_6768(写真は千日紅4景)

 

 

 

Img_6700Img_6703Img_6701Img_6702a 花木のムクゲは今年もピンク、赤、白の3種類の花を咲かせている。

 

 

Img_6732Img_6778Img_6779  松葉牡丹(ヒデリソウ)は順調に育っている。

 

 

 

【 菜園 】

 

Img_6694_2Img_6693_2Img_6691_2Img_6692_2Img_6722_2Img_6756_2 ビニールハウス内のキュウリ、なすは順調に収穫できていたが、7月下旬からの暑さで木が弱ってきて毎日収穫が出来なくなってきた。ビニールの屋根を開けたりして対応したがなかなか回復せず、キュウリはハウスの外に新しい苗を植えることにした。トマト、ミニトマトは順調に毎日収獲できている。トマト系は暑さに強いようだ。

 

Img_6723_2Img_6724_2Img_6725Img_6726_2スイカは7月25日に収穫した。枝豆は1株調べたがまだよく実っておらず、8月になってからの収穫になる。(写真はスイカ2景、枝豆2景)

 

 

(写真をクリックすると大きくなります)

 

(以下次号)

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2018年7月21日 (土)

「ライトマイファイア」を読んで

 ライトマイファイア    伊東 潤著   2018年6月発売

Img_6731 この本は時代小説家の伊東潤が2016年に発行した「横浜1963」以来、2冊目の現代小説である。

 前作はあまり良い出来栄えとは思えなかったが、今回は1970年(昭和45年)発生のよど号ハイジャック事件の犯人の中に公安の警察官がいたという仮説で、その潜入から脱出までの経緯をスリル満点に描いている。

一方その45年後の2015年(平成27年)に発生した川崎市の簡易宿泊所放火事件の捜査をする警察官との関連をつなぎ合わせ、さらに現在のアメリカの傘下にある日本の現状も見えてくる、読んで満足のいく作品である。

 まず、公安の三橋は中野と名を変え、昭和44年4月から大学生としてある大学に入学し、学生運動の一員として活動を始めた。その結果赤軍派の「さど号」ハイジャックの実行犯を命じられた。だが、下っ端のため命じられたことをやるだけでしかなかった。

 公安の上司にこの計画を伝えたが、そちらからの指令も無く、ハイジャックは実行され北朝鮮に到着した。その間の出来事を三橋がハイジャックの一員としてまた警察官として人質になった乗客の安全を守れるかとの相剋に悩みながら推移していく描写は手に汗を握る場面である。

 本来の赤軍派の計画では北朝鮮からキューバに行く筈だったが、北朝鮮側はメンバーを洗脳して革命戦士として生まれ変わらせ各種工作に従事させようとしていた。

 それを知った三橋は何とかして脱出することを考え警備艇を強奪し、迫りくる危機を何とか乗り越えて韓国領海で米国巡視艇に拿捕された。その時一緒に逃げた男がいたが、北朝鮮巡視艇の銃弾で亡くなった。この脱出劇も眼を離せないスリル満点な描写で描かれている。

その事件から45年後、10人の死者を出した簡易宿泊所放火事件を追っている寺島刑事は亡くなった10人の身元確認を担当したが最後の一人がなかなか判らず、放火犯の目星も付けられなかった。しかし僅かな手掛かりを丹念に追っていくことから驚愕な事実が判明する。

 それについて、文芸評論家縄田一男は「この作品は一編のミステリーでもあるからにして、詳しくは書けないが、エピローグを読んでこう言おうではないか『蟷螂(とうろう)にも、斧はあるのだ、と。』と書いている。

 なお表題のライトマイファイアは、アメリカのThe Doors(ドアーズ楽団)の楽曲 「Light  My Fire (邦題はハートに火をつけて)」 を引用している。本文の406ページに歌詞の一部が載せてある。

 今(平成30年【2018】)から50年近く前の1969年の東大安田講堂占拠事件から翌年のよど号ハイジャック事件、1972年の浅間山荘事件と続いた、全学連から日本赤軍が起こした騒然とした空気を久し振りに思いだした。

 改めて思い起こすと日本とアメリアとの関係、北朝鮮と日本との関係、沖縄問題とも50年前とほとんど変わっていない。その間で暗躍する日本の政治家や財界のブローカーなどの跳梁も同様であろうか?

(この項終わり)

 

 

2018年7月15日 (日)

2018年 涸沼自然公園であじさいを見る

 茨城県水戸市近くにある涸沼は、茨城町、鉾田市、大洗町にまたがる汽水湖である。満潮時には海から那珂川を介して涸沼川へと海水が流れ込むため海水と淡水が混じりあう汽水湖なのでありここで獲れるヤマトシジミは有名である。昨2017年にラムサール条約湿地として登録されている

9f96130b732d82068f19ad81dc2af18148028fa92861976a5021eb4db3f09a772d01 この涸沼の北側湖畔に広がる広大な敷地に「涸沼自然公園」があり、公園内のあじさいの谷を中心にした場所に30種約10,000株のあじさいが咲く。今年は「2018第9回ひぬまあじさいまつり」が6月23日(土)から7月16日(月)の開催期間で行われるということなので、7月2日(月)に見に行くことにした。(写真はあじさいまつりのチラシ)

水戸市内のあじさいは水戸保和苑と水戸八幡宮が名所になっており、保和苑には100種6,000株水戸八幡宮は60種5,000株のあじさいがある。今年は6月10日から7月1日まで第44回水戸のあじさいまつりが開かれた。

水戸のあじさいまつりには何回か行っているが、そのうち水戸保和苑のあじさいについては、小生のHPに「水戸のあじさいまつり(水戸保和苑) 」としてアップしてある。また水戸八幡宮のあじさいについてはフォトギャラリーに「水戸八幡宮のあじさい 」としてアップしてあるので併せて見て頂けると有難い。

 

Img_6684Img_6609Img_6663 公園の入口は「涸沼自然公園管理事務所」という建物の中である。所属市町村名と入場人員を記入して園内に入り、「あじさいの谷はこちら」という案内に従って進む。

 

Img_6610Img_6612Img_6614Img_6615Img_6616 道路沿いにあじさいが並んでいる。大きくて背の高さより大きい。9時半ごろ着いたが、南側が崖になっているので、太陽の光が射し込まず快適に花を眺めながら進める。

Img_6618Img_6620Img_6621Img_6623Img_6624 道路沿いのあじさいは普通のあじさい、ガクアジサイが混在して咲いていた。花の色も濃い赤紫、ブルー、白っぽい花、薄ピンクなどいろいろある。

Img_6625Img_6664Img_6630Img_6631Img_6626 しばらく歩くと「あじさいの谷」入口の左側にある細い遊歩道に折れ曲がる。開けた谷はUターン向こう側の遊歩道に陽の光が照り付けている。

Img_6629Img_6635Img_6639Img_6636Img_6638 日差しを避けて、あじさいの谷を見下ろす坂道を上がっていく。大きな木の木陰が続く道を行くと「わいわい広場」という遊具などが置かれている広場がある。その広場に沿ってあじさいの遊歩道は続いていく。

Img_6640Img_6642Img_6645Img_6646Img_6647 いろいろな種類のあじさいが見られるが、名前が判らない。

 

 

Img_6648Img_6649Img_6637Img_6652Img_6654 名前の標示があるのは最初の頃あった「城ケ崎」というのと、「シーアン(西安)」「柏葉あじさい」というものだけで、より多くの名札の標示か、写真と名前を書いたパンフレットがあればよいと思った。

Img_6650Img_6651Img_6641Img_6656 遊歩道は「一休広場」という開けた場所に出る。あずまやに入り一休みする。この辺りは「さくらの丘」と称して、春にはソメイヨシノ、八重桜が沢山咲く場所らしい。

Img_6655  その一隅に「随處作主 立處皆真」(随處に主となれば 立處皆真なり)と書かれた碑があった。建立したのは茨城町花卉生産組合という団体が平成19年に十周年記念事業として建てたとあった。
  この自然公園の桜やあじさいの植え付けが20年以上前から行われており、それが実を結んで平成30年には第9回あじさいまつりに繋がったのかなと思ったが、ネットで調べた限りでは判らなかった。1万株ものあじさいを育成するにはそれなりの物語があると思うので、町役場なり、花卉組合なりが持っていると思われる資料を公開してPRをすると良いと思う。

Img_6657Img_6659Img_6661Img_6662Img_6665 帰路はあじさいの谷の日の当たっている方の遊歩道を下り、行くときによく見られなかった広い道路の日陰になっているあじさいを眺めながらのんびり歩く。

Img_6668Img_6670Img_6674Img_6680Img_6675 「せせらぎ広場」という場所に立ち寄り、池の先にある「イトトンボ橋」という赤い吊橋を見ながら一休みする。

 約50年前の1971年に涸沼湖畔で発見されたヒヌマイトトンボは絶滅危惧種に指定されている貴重なトンボだそうである。それに因んで橋の名前に付けたのである。管理事務所の前にある売店もイトトンボという名前であり、今年5月に開業したが、月曜日は休みということで名物のシジミ汁は味わえなかった。

 なお涸沼自然公園の休日は4月~10月は無休で、11月~3月は月曜日が休園日である。

 涸沼のあじさいは以前行った水戸市の保和苑や八幡宮のあじさいとは違って、午前中は大きな木の蔭や斜面により太陽の光が遮られる場所が多く、快適に過ごせた。

 また桜の木が多くあるので来春は花見に訪れたい。涸沼の南岸には温泉がある「いこいの村涸沼」があるので、一泊して花見の後、アクアワールド大洗水族館を見たり、ドライブがてら大洗から那珂湊方面の海岸美を楽しむのも一興だろう。

(この項終わり)

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2018年6月26日 (火)

平成30年 花畑・菜園便り(3)

 平成30年の「花畑・菜園便り」3回目です。

 今回は5月下旬から6月下旬までの花と野菜の便りです。

【 花畑 】

Img_6534Img_6531Img_6538Img_6550Img_6551 前回に引き続き、ナデシコは花盛り。

 ラベンダーもだいぶ咲いてきた。

Img_6532Img_6563Img_6536Img_6537_2 花菱草の黄色い花数も増えつゝある。

 

 クレマチスの白ピンクの花と紫色の花も咲きだした。

Img_6565Img_6566Img_6560Img_6561 玄関へのアプローチ脇に植えたマリーゴールドの列の花も大きくなってきた。マーガレットの群落もたくさん咲いている。

 

Img_6574Img_6575Img_6576Img_6586Img_6588 裏庭のアジサイもひっそりと咲いている。

去年のこぼれ種から芽を出したクレオメも何本か咲いている。

 

Img_6584Img_6589Img_6585Img_6580 Img_6581桔梗も咲きだした。紫の桔梗と白っぽい桔梗とがある。

 

 

 

Img_6604Img_6602Img_6606 おしろい花がやっと白・赤・黄色のはなをつけ始めた。今から夏一杯花を咲かす。

 

 

Img_6539Img_6562Img_6582Img_6593Img_6594Img_6607 金蓮花も大きくなってきた。種から育てたダリアも花数が増えてきた。グラジオラスも咲き始めた。これらの花々も夏から秋にかけて咲き続けることだろう。.

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菜園 】

Img_6549Img_6590Img_6591Img_6592 今回はまず2畝だけ作った玉ねぎを収獲して裏庭に作った手製の倉庫に保管した。またジャガイモを掘り始めた。3畝作ったが、雨が降ったりして1畝だけをまず掘り起こした、今年は一株から芽を3個~4個だけ残すようにしたので、今までより大きいサイズのジャガイモが多く収穫できた。これも篭に入れて同じ倉庫に保管した。

 

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      ビニールハウス内にキュウリ、トマト、なすなどを植える。ハウスの北側にブルーベリーが植えてあるが、少しづつ実が熟してきた。

6月6日にブルーベリーとソラマメを収獲した。ソラマメはもう殆んど終了である。ブルーベリーは6月いっぱい食べられた。

 

Img_6567Img_6568Img_6571Img_6569Img_6608 枝豆の種を蒔く。ネギ苗の先にあるのはスイカである。ビニールハウス内のナス、トマト、キュウリも大きくなってきた。キュウリ、トマトは6月20日ごろから収穫している。
トマトは7月はじめは赤く熟して食べられるようになると思う。ミニトマトは、6月25日には赤く色づき始めた。.

 

(以下次号)

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2018年6月20日 (水)

葉室麟の遺作「玄鳥さりて」を読んで

 葉室麟は昨年(2017)12月に66才で亡くなった時代小説家である。デビュー作の乾山晩愁(2005)で歴史文学賞を受賞し、その後、銀漢の賦((2007)で松本清張賞を、そして蜩(ひぐらし)ノ記(2012)で直木賞を受賞している。
 

 玄鳥さりて   葉室麟   2018年1月発売

Img_6558  「玄鳥さりて」は葉室麟の遺作となった時代小説である。

 主人公の三浦圭吾は少年時代、道場で一番の使い手で8歳年上の樋口六郎兵衛の稽古相手になることが多かった。圭吾は稽古に励み、何時しか道場の隼といわれるほど上達した。六郎兵衛は軽輩の出なので、剣の使い手だけでは出世できず、また自分を売り込もうとはせずひっそりと生きていた。その六郎兵衛がある時以前から遺恨を持っていた3人の藩士に襲われたが、逆にその3人を切り殺し遠島になった。

 それから10年が経ち六郎兵衛が許されて帰藩できることになった。その頃圭吾は出世して勘定奉行になり、藩内の派閥争いに巻き込まれるようになってきた。また本藩から養子に来た藩主も親政を考えて派閥争いに首を突っ込んできた。その間いろいろな出来事があったが結末近く、藩主は圭吾が邪魔になると考え、六郎兵衛と果し合いをすることを命じ、同時にどちらかが生き残ったとしてもそれを抹殺しようとした。

 それに対し、果し合いの場で圭吾を葦の茂った水辺のほとりに誘い込んだ六郎兵衛は圭吾に侍を辞め関西に行くことを薦め、用意してあった小舟に圭吾を乗せた。病気のため余命がいくらも無いことを知っていた六郎兵衛は「武士の刀は主君であれ、家族であれ、おのれの命にかえても守りたい大切なひとのために振るうものだ」というせりふを残して藩主を切るべく歩き出すところで終わる。

 玄鳥とは燕のことで、六郎兵衛が圭吾の家の守り神になっているとの意。六郎兵衛は以前親切にされた剣士を守りきれず切腹させてしまったことがあり、圭吾の道場での表情がその剣士にそっくりだったことから、圭吾を生涯友として守ろうと思い定めたのだった。

 葉室麟の小説は、自分の考えを思い定めた後は、たとえ自分の不利益になっても幾多の困難や誘惑を乗り越えて、信じる道を進んで行こうとする作品が多い。また作中に短歌、俳句、漢詩などを取り入れて、それが作品の隠れた主題になっていることも多くある。

 この作品でも「吾が背子と二人し居れば山高み 里には月は照らずともよし」という和歌がその役目を果たしているが、他の作品でも正邪入り乱れるストーリーの中でも一服の清涼剤になっており、また主人公の変わらぬ想いを再認識させる役目を果たしている。

 葉室麟の作品を読むのは平成21年(2009)に「秋月記」「銀漢の賦」を読み始めて以来、この本で丁度50冊目にあたる。人間の欲望に陥る弱さに理解を示しながらも己の生き方を曲げない作品が多く、爽やかな読後感をもたらし余韻を残してくれる。ずっと愛読してきた作者であり寂しい限りである
 

(この項終わり)

2018年6月 9日 (土)

平成30年茨城県南のバラ園巡り②

2.つくば(藤沢邸)ローズガーデン

 常総市の「坂野ナチュラルガーデン」から、つくば市の「つくば(藤沢邸)ローズガーデン」に行く。常総市とつくば市は隣接しているので、県道123号線から県道24号線に乗り、13時頃つくばローズガーデンに到着する。藤沢邸と括弧書きを入れたのはグーグルマップには「藤沢邸ローズガーデン」と記されていたからで、どちらが正式名称か判らなかったからである。

 このローズガーデンは約900坪の敷地に700種類、2500本のバラがあるそうで、元つくば市長の藤澤順一氏の個人のバラ園である。入口に藤澤勘兵衛翁生家と記された碑が立っていたが、この人はつくば市が出来る前の旧桜村の村長を4期務められ、つくば市名誉市民にもなった人で、順一氏の父である。

Img_6487Img_6493Img_6495Img_6528 入り口を入るとバラのアーチで囲まれた通路があり、その左右にバラ園がある。通路の中央付近に料金所があり、500円/人を払って左側のバラ園に入る。

Photo_22 その時貰った園内マップを見ると、バラ園はAからFまでのエリアがある左側のバラ園と、「Gローズトンネル」という料金所のある通路を挟んで、右側にHからKまでのエリアがある。少し離れてプラントショップがあるLエリアを含めると12のエリアに分かれている。料金所から入った左側のバラ園は芝生が「Bホワイトローズ」エリアまで続いており、Bエリアにある円形の中央の場所ではジャズコンサートなどが行われるそうである。

Img_6497Img_6498Img_6499Img_6511Img_6501Img_6500 南側の「Eバラと宿根草」のエリアにはギリシャのビ-ナスやアキレスらしい彫像にバラや他の草花を配した場面が多く見受けられた。日本庭園ならば、自然石や灯篭が置かれるように洋風のガーデンにはこのような彫像やトレリスなどを配することで、花やガーデンのたたずまいが強調されるのが感じられた。

Img_6502Img_6506Img_6507Img_6508Img_6509 「Cバラの回廊」では つるバラが咲く大きな木製のトレリスの中を歩けるようになっている。近くにネギ坊主のようにな紫色の大きな丸い球状の植物があった。始めてみるが目立った植物であり、係の人に聞いたらアリウム ・ギガンチュームという名前だそうである。別名花葱とも言われ、花言葉もあり、「深い悲しみ」などというそうである。

Img_6510Img_6512Img_6514 「Lローズウォール」は壁紙のようにバラが一面に咲いている場所であり、小さいバラの集まりのことが多い。

 

 

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 ローズトンネルの右側のバラ園に入る。「K芝生の広場」の売店で、パラソル付きのテーブルと椅子席に入り、バラの香りのするソフトクリームを食べ一休みする。「H・I・J」エリア」はそれぞれフレンチローズエリア、イングリッシュローズエリアなどに分かれているが、その違いはあまり良く判らず、青や白のトレリスなどが沢山置かれていて、バラの花を引き立てていることなどの方にに目が行った。

 約1時間半ほどバラ園を鑑賞して帰途に付く。今回の二つのバラ園は昨年鑑賞した県北の二つの個人のバラ園が小規模で家庭的な雰囲気だったのと異なり、ある程度広い敷地があり、バラつくりを始めたのは坂野ガーデンは2000年から、藤沢邸ガーデンは2005年からと10年以上前から始めて年季が入っているのでそれぞれ見せられるガーデンになっている。

 昨年は個人宅のバラ園以外に茨城県植物園と茨城県フラワーパークのバラ園を鑑賞した。今年は国営ひたち海浜公園のバラ園も見に行くつもりだったが、季節の進みが早く、最盛期は過ぎてしまったので、来年に持ち越しである。

 桜や美術鑑賞もそうだが、茨城県は首都圏から少し離れているので、バラなどを鑑賞するのも人出を気にすることなく、自分のペースでゆっくり味わえるのが良く、満足できる一日だった。

(この項終わり)

 

2018年6月 7日 (木)

平成30年茨城県南のバラ園巡り①

 
 昨平成29年(2017)茨城県北の個人のバラ園やフラワーセンターを見に出掛けたが、今年(平成30年)は県南の個人のバラ園を見に行くことにした。

 今年は春先から暑い日が多く、桜も例年より早かったので、バラの開花も早いのだろうと思っていたが、日程がうまく取れず昨年より3日早い5月24日(木)に行くことになった。

 昨年は県北の日立市と大子町のバラ園を見たのだが、今年は県南の常総市の「坂野ナチュラルガーデン」とつくば市の「つくば(藤沢邸)ローズガーデン」に行くことにした。両者ともインターネットではたくさん紹介されているバラ園で入園料はそれぞれ一人500円である。

1.坂野ナチュラルガーデン

 水戸市の自宅を9時30分に出発し、水戸南ⅠCから北関東道に入り、友部JCSから常磐道に、つくばJCSから圏央道に入り、昨春完成した常総ⅠCで降りた。国道294号線から案内標識に従って県道123号線に入り、坂野家の駐車場に11時近くに着いた。坂野ガーデンにはその駐車場に車を置き、水海道風土博物館になっている坂野家住宅の脇を通り行くのである。

Img_6452Img_6486 坂野家住宅は500年前からこの地方の惣名主存在としてあり、敷地は3千坪と広大でありる。母屋、表門は重要文化財である。平成10年に屋敷の建物が市に寄贈されて保存整備が行われ、平成13年に水海道風土博物館として一般公開したもので大河ドラマを始めとするTvドラマや映画などのロケにもよく使用されるそうである。

Img_6454Img_0001Img 坂野ナチュラルガーデンは坂野家住宅から数分歩いた所にあり、手造りの春のローズガーデン坂野という案内板があった。入園料は花のある時は500円、無い時は300円だそうである。入口でパンフレットを貰って中に入る。やはりバラのピークは少し過ぎているようだと思ったが、まだまだたくさん咲いていると言われた。
 4,000㎡あるという庭には春と秋のローズガーデンの他にも3月から11月まで色々な花が咲いている。

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 順路に従って進むと小径が沢山分かれており、つるバラを這わせたアーチを潜りながら坂を降りていく。

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 「バラ交い道」と名付けられた平地に行くとバラばかりではなく、いろいろな花が咲いていた。

Img_6474Img_6485Img_6470Img_6468 「切岸の花棚」という場所には、高い木に7ḿの高さまでバラを誘引してあった。

 

 

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 他にもたくさんのバラが咲いていた。

 

 

 約1時間近く坂野バラで過ごし、12時近く次のバラ園である「つくばローズガーデン」に向かった。

(以下次号)

2018年5月23日 (水)

平成30年 花畑・菜園便り(2)

平成30年の「花畑・菜園便り」2回目です。

前回は4月初めまでの報告でしたので、今回はその後5月中旬までの花と野菜の便りです。

【 花畑 】

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 4月後半になるとスズランが咲いてくる。

 

 

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 ビオラもまだ花盛りだ。

 

 

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 夏を彩る花菱草もそろそろ花をつけ始めた。

 

 

Img_6380Img_6381Img_6383Img_6384Img_6426 5月になると、昨秋、花壇に植えたストッカーや金魚草は、冬の寒さに耐えて生き残った何株かが、花を咲かせた。

 

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  ラティスフェンスに這わせた白いつるバラや早咲きのクレマチスも満開になった。

 

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 アヤメ、シラン、金蓮花(ウィキペディア)、ダリアも咲いている。

 

Img_6433Img_6447Img_6448Img_6450Img_6451 カワラナデシコ、石竹も咲きだした。

 

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 4月末から10月末まで我が家の花壇と花畑は、いろいろな種類と赤や黄色などの彩り豊かな花が咲き、道行く人たちを楽しませることと思う。

 

 

 【 菜園 】

Img_6354Img_6357Img_6359 4月23日のレタス、小松菜、ジャガイモの様子である。

 

 

 

Img_6376Img_6377 5月5日に収穫した小松菜、ネギ、ブロッコリー、イチゴ、ソラマメである。ソラマメは今年初めての収穫で、この後毎日ビールのつまみとして収穫している。

 ブロッコリーも春になって植えた苗からの初めての収穫である。

 

Img_6388Img_6390Img_6391Img_6401Img_6402 5月10日の玉ねぎ、ジャガイモ、ソラマメ、イチゴの状態です。

 

 

Img_6418Img_6419Img_6421Img_6423 5月15日、2つ目のブロッコリーと最初のブロッコリーの脇芽の状況で、両者とも収穫時期である。またレタス、大根も収穫時期である。

 

 

(以下次号)

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2018年5月13日 (日)

「修羅の都」を読んで

 修羅の都    伊東 潤著   2018年2月発売

Img_6403 源平時代の源頼朝とその正室、北条政子の物語である。
 先日鎌倉の鶴岡八幡宮に行ったばかりであり、また伊東潤は好きな作家でもあるので、迷わず図書館から借りてきた。

 頼朝は朝廷の支配から脱して鎌倉幕府を開き、幕末まで続く武士による支配を始めた人物でありながら、源氏による将軍職は三代しか続かずに以後は北条氏の執権時代が続いた理由はなぜなのか、また尼御前といわれた北条政子の実像はどうだったのか詳しく知らなかったので興味を持って読んだ。

 物語は頼朝の死後二十二年経過した承久三年(1221)に後鳥羽上皇が鎌倉幕府三代将軍源実朝が暗殺された混乱に乗じて執権の北条義時に対し討伐の院宣を出したが、逆に鎌倉幕府の御家人に攻め込まれて敗れた承久(じょうきゅう)の乱のとき、政子が出陣する御家人を鼓舞する演説をしようとするところから始まる。この乱に勝ったことによって北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すことになった。

 そして物語はさかのぼって源義経が元暦二年(1185)に壇ノ浦で、平家を討滅した書状を頼朝が読む場面に変わる。頼朝は義経に「平家討伐よりも、先帝(安徳天皇)の保護を優先すべし」と伝えていたのだが義経は「平家を滅ぼす」ことだけが目的であり、その後をどうするかなどは考えておらず。頼朝との考え方の違いがあった。

 やがて京都に戻った義経は頼朝との不仲が明白になり、奥州の藤原秀衡を頼り平泉に逃れた。しかし文治元年(1187)に秀衡が没すると後を継いだ泰衡が義経を殺したにもかかわらず頼朝は奥州に兵を出し、奥州藤原氏を滅亡させた。

 建久三年(1192)に後白河法皇が崩御し、頼朝は征夷大将軍に任じられ晴れて諸国の武士を統率する名目を得た。

 その後、建久六年の頃から頼朝は老耄(ろうもう=認知症)にかかり、政務にも事欠くようになってきた。朝廷側も巻き返しを図り、このままではせっかく築き上げた鎌倉幕府そのものが瓦解する恐れが出てきた。そしてつかの間の正気に戻った頼朝は政子に鎌倉幕府の将来を託して政子の作った毒入りの握り飯を食べ、馬に乗って走っている途中落馬して亡くなった。建久十年頼朝五十三才の時だった。

 最終章は物語の最初に出てきた承久(じょうきゅう)の乱で鎌倉を出陣しようとする御家人たちを鼓舞する名演説をする場面である。心を動かされた御家人は十数万騎に膨れ上がって京に攻め上り鎌倉幕府の危機を救ったのである。

 頼朝が鎌倉幕府を開いて守護・地頭を置いた頃はその威令は東国だけにしか通用せず、西国は広大な荘園を持った皇室が支配していた。それを西国も含めた全国に守護・地頭を置けるようになったのは承久の乱以後で、その意味でもこの乱は鎌倉幕府の権威を確立した大事件だったのであり、頼朝の死後二十二年を経過したにもかかわらず、政子が登場するこの乱のことを最初と最後に述べたことは大きな意味があったのである。

(この項終わり)

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