2018年10月19日 (金)

3冊目の本を造る

 一昨年(平成28年)に「往時渺茫(びょうぼう)」という本を始めて造ったが、昨年(平成29年)は「幕末の水戸藩」という2冊目の本を造った。

 造り方は一冊目と同じようにWordで原稿を作り、16ページの折丁に印刷し、糸綴じ、化粧裁ちをして表紙を造り本文を張り付けるという本造り全体を自分で作業し完成させる方法である。

Img_7117Img_7112Img_7113Img_7116Img_7114 そして今年(平成30年)は3冊目の本として「おくのほそ道漫遊紀行(1)深川~平泉」という題の本を同じやり方で造った。

 これは以前に松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をした内容をブログやホームページにアップしたが、それを再編集してその中の江戸深川から奥州平泉までを第1巻として本にしたものである。
   
 「おくのほそ道」はその後、山寺立石寺、出羽三山、象潟(きさかた)、山中温泉、敦賀などを経て大垣まで続くので、出来ればさらに第2巻、第3巻まで書き進もうと思っている。

 小生が「おくのほそ道」をたどる旅を志したのは平成13年で、それから5年掛かって平成18年に結びの地大垣までたどり着いた。その旅行記の内容を平成19年から平成21年までに「奥の細道漫遊紀行」というブログにまとめ、更にホームページに平成21年に「イバイチの奥の細道漫遊紀行」という題名でアップ出来た。

 その後、ホームページの題名を「イバイチの旅のつれづれ」に改め、毎月何件かのあちこちの旅紀行や読書感想などを掲載しており、アクセス回数もブログ・ホームページを合わせると今年中に8万回になりそうである。

 しかし小生も平成30年には85才になり、いつまでも新しい紀行やコラムを書き続けることは出来なくなってきている。ホームページやブログは継続して書き続けずに何ヶ月か過ぎると消滅してしまうことにも気付いた。そのため次世代以降に何か残すとなると印刷物が一番良いではないかと思うようになった。

 思えば最初に造った「往時渺茫」という本は小生の祖父と父の兄弟について記したもので、子供世代や孫世代に先祖の事を少しは身近に感じられるようにと思い、父とその兄弟が取り交わした若き日の書簡や、祖父の事績を子供から見て感じた書類などをメインにしてまとめた本だった。

 翌年の「幕末の水戸藩」は生まれ育った茨城の幕末の出来事を、天狗・書生の事跡をたどって、水戸周辺ばかりでなく筑波、栃木、中山道から敦賀まで、また会津から新潟、更に千葉までの旅をまとめた本だった。

 そして今回は「おくのほそ道」である。身近なことからだんだん広げていった気がするが、すべて自家制作の本なので10部内外しか作れず、結びの地大垣まで無事たどり着けるだろうか。

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(この項終わり)

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2018年10月 4日 (木)

「星夜航行 上・下」を読んで、

 星夜航行 上・下   飯嶋 和一   2018年6月発売 

Img_7033Img_7105  「星夜航行」は上・下巻に分かれ、上巻は533ページ、下巻は572ページあり、合計1,100ページの大作である。

 話は徳川家康の長男、信康の小姓として仕えた主人公の沢瀬甚五郎が、家康によって主君の信康が切腹させられ、自分の身も危うくなって出奔する。
 
 数年の後、剃髪して僧侶姿になっていた甚五郎は縁あって菜屋助左衛門(呂宋=ルソン助左衛門)と知り合い、船に乗って琉球、台湾、マニラなどに向かう海の商人となって、薩摩の山川に住み、国際感覚を身に着けていく。

 その間、日本では織田信長が斃れ、秀吉が天下を統一する。秀吉は明国征服の野望を持ち、朝鮮に攻め入った。朝鮮軍には鉄砲が無く、長年の平和に慣れて連戦連敗し、朝鮮国王は首都を漢城(ソウル)から平壌に移し、更に明との国境の義州まで落ち延び、明国に援軍を要請した。

 一方朝鮮水軍の李舜臣の活躍によって秀吉水軍は制海権を失い、また各地で朝鮮の義勇軍が蜂起し、秀吉軍は兵糧や弾薬が欠乏して苦しい戦いになってきた。

 その間、沢瀬甚五郎は山川港を薩摩藩が支配することになったことなどから博多に商売の拠点を移していたところで上巻は終わる。

 下巻では秀吉の命令で博多商人の代表として沢瀬甚五郎が平壌の小西行長に武器と食料を運ぶことになった。しかし釜山沖で僚船が朝鮮水軍によって沈められため、物資は届けられず対馬に逃れ、更にマニラに向かった。フィリピンはイスパニア(スペイン)が植民地としており、日本との貿易とキリスト教の布教を進めようとしているが、ポルトガルのイエスズ会との確執があるなど日本周辺の情勢は混沌とした情勢だった。

 朝鮮の秀吉軍は引き続き兵糧と弾薬の欠乏が続き、明国軍と朝鮮王国軍の攻勢により、平壌から漢城に撤退し、さらに釜山付近の順天城で小西行長、蔚山城で加藤清正などが支配するまで押し込まれていた。

 やがてマニラから長崎経由で博多に戻った沢瀬甚五郎は恩顧のある博多商人の嶋井宗室と共に釜山に食料を運ぶことになり、更に近くの亀浦城までその一部を運ぶことを依頼され、沢瀬甚五郎が運び入れることになった。しかしその途中降倭と呼ばれる朝鮮王国軍に寝返った日本の将兵に襲撃され捕虜になってしまう。.

 やがて秀吉は死去し、朝鮮出兵の日本軍は明国軍と講和を結び帰国することになった。しかし、朝鮮に留まっている秀吉軍は6万5千人居るが、海戦で多くの船が沈められ、日本に帰れるのは1万5千人と推定され、足軽や役夫などの5万人は置き去りにされ、明国軍に殺されるに違いなかった。

 その頃沢瀬甚五郎は朝鮮王国軍の降倭軍鉄砲隊の指揮を執るようになっており、小西行長が守る釜山近くの順天城を取り囲む朝鮮国軍に属していた。順天城には1万3千人ほどの城兵が居たが、船が少なく約5千人は帰国できずに取り残される様子が分かり、朝鮮王国軍の将軍に交渉して投降するよう呼びかけ、それに応じた1,500人ほどの命を救い荒廃した朝鮮国土の再生に尽力することになった。

それから8年後、断絶していた日朝両国の国交を回復するために朝鮮使節団が訪れ、その中に沢瀬甚五郎らしい高官が居たという終章で終わる。

 

 文中繰り返し述べられるのは、秀吉という独裁者の明国征服という野望のために日本ばかりでなく、朝鮮国、明国の農民、漁民などを含めた多数の一般民衆が戦いに駆り出されて、その多くが犠牲になり、それぞれの国土が荒れ果て、疲弊していった戦争の悲惨さである。

 薩摩の島津家に例をとれば、この遠征で1万5千人の軍役を課せられたが、その内武士は2千人で残り1万2千人は足軽と人夫であり島津家を支える農漁民だった。残った農民が戦地に赴いた者の農地を耕すことを命じられたが、しょせん無理な話で、農民の逃亡が相次ぎ、農地は荒廃するにまかされた。漁民も朝鮮で大半が犠牲になり島津領国は壊滅的な打撃を蒙っていた。

 この戦いは文禄・慶長の役といわれ、文禄元年(1592)から途中休戦を挟んで慶長3年(1598)まで7年間行われ、秀吉の死による日本軍の撤退で終結した。

この小説は「小説新潮」に5年間連載され、その後著者校正を4年間行い、刊行までに9年の歳月がかかったという力作である。

作者、飯嶋和一は前々回刊行した2008年「出星前夜」で大佛次郎賞、前回刊行した2015年「狗賓童子」で司馬遼太郎賞を受賞している。

 この2冊を含めて「神無き月十番目の夜」(1997年)、「黄金旋風」(2004年)も愛読した。この作家は今回の「星夜航行 上・下巻」を含めて9冊しか刊行していないが、読み応えのある作品が多い。

(この項終わり)

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2018年9月26日 (水)

平成30年 花畑・菜園便り(5)

平成30年の「花畑・菜園便り」5回目です。

 今回は8月後半から9月にかけての花と野菜の便りです。

【 花畑 】

 8月前半は酷暑が続き、雨も降らず花は枯死寸前になるほど弱っていたが。後半は台風などの雨が降り、気温が落ち着いてきたため、息を吹き返した。

Img_6971Img_6973Img_6980Img_6982Img_6995 コキアの緑の玉はだいぶ大きくなった。千日紅の株も持ち直した。

 

Img_6983Img_7039Img_6986Img_6994Img_7090 ペチュニアもサルビアも生き返り、鶏頭も元気に育っている。

 

 

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 種まきダリアも種類が増え、株も大きくなった。

 

Img_6991Img_6992Img_7052Img_7051Img_7099 暑さが和らぎ、朝顔が咲きだした。また、柿の実も色付いてきたが、今年は小粒である。ムクゲの花も涼しくなって再び咲きだした。

 

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Img_7048Img_7092Img_7098Img_7084 コスモスも咲きだした。キバナコスモスも咲いている。我が家の花畑は秋の花で満開である。

 

 

【 菜園 】

Img_6987今年の枝豆はたくさん実をつけてお盆前まで毎晩ビールのつまみになった。

ビニールハウス内のトマト、茄子、キュウリ、ピーマン、ミニトマトなどはあまりの暑さで8月いっぱいでほとんど収穫は終わってしまった。9月は毎日収穫出来ず、週に1回~2回になってしまったが、それも完了した。

Img_7093Img_7096Img_7097Img_7095 9月半ば過ぎには冬用の白菜、キャベツ、ブロッコリーを虫よけのネットを掛けて育てはじめ、大根の種を蒔いた。

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(以下次号)

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2018年9月24日 (月)

偕楽園の萩

 茨城県水戸市では偕楽園の「水戸の梅まつり」が良く知られている。約100品種3,000本の梅が2月中旬から3月下旬に掛けて1か月半にわたって早咲きから中咲き、遅咲きの梅が楽しめ、梅まつり期間だけ近くの常磐線偕楽園駅が開かれ、京浜方面からの観客が乗降できるほどである。最近は昼間だけでは無く夜のライトアップも行われている。

 しかし偕楽園は梅の名所だけではなく、4月には「桜まつり」、5月には「つつじまつり」、9月には「萩まつり」、11月にはもみじ谷の「もみじまつり」があり、「萩まつり」、「もみじまつり」もライトアップが行われている。

 また隣接する茨城県歴史館では8月に蓮池で大賀ハスが咲き、11月には「イチョウまつり」でイチョウ並木のライトアップが行はれるなど、この地域は四季を通じて楽しめる場所である。 今回はその中で萩まつりの期間に、偕楽園を訪れた時の記録である。

 今年の萩は、夏の暑さのせいで例年より開花が遅れているというので、「萩まつり」の終わり近くの9月22日に見に行った。偕楽園・桜山第2駐車場に車を止めて、梅桜橋から偕楽園本園に入る。

Img_7053Img_7055Img_7054  南門から見晴らし広場に通じる坂道を登っていくと子規の「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」の句碑があるが、その前にひがんばな(曼殊沙華)の真紅の花が咲いている。そういえばその日は秋の彼岸の中日(秋分の日)の前日だった。

 ひがんばなは、近くにある徳川斉昭が水戸八景の一つに選んだ僊湖(千波湖)の暮雪碑の近くにもたくさん咲いていた。


Img_7058Img_7060Img_7061Img_7056Img_7072 見晴らし広場に上がると、梅や桜の季節は姿を見せなかったたくさんの萩が、大きく育ち、紫や白い花を咲かせて出迎えてくれた。偕楽園の萩は宮城野萩が中心で白萩,山萩、丸葉萩など750株あるのだそうである。

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  訪れた日はあいにくの曇天で、普通でも地味な小さな萩の花は萩の緑の葉や芝生の緑に覆われる感じで、近くまで行かなければよく見ることが出来ないが、ちょうど見ごろでたくさんの花をつけていた。

Img_7073Img_7069Img_7074Img_7077Img_7078 見晴らし広場や仙波湖を一望に出来る三階建ての好文亭や大きな左近の桜の点景としての萩も風情がある。

Img_7080Img_7081 偕楽園の前庭付近にはサルスベリの赤い花が眼を惹く。南門から好文亭に行く道筋に櫟(くぬぎ)門があるが、その屋根には草がたくさん生えていた。

   

Img_7082Img_7083 偕楽園本園から常磐線の線路を越えると拡張された広い偕楽園公園になっているが、そこにも萩が咲いており、本園の赤いひがんばなが眼を引く。広い偕楽園公園の四季の原には間もなくコスモスなどの秋の草花が咲き乱れるようになる。

   

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(この項終わり))

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2018年8月23日 (木)

「隠蔽捜査7---棲月(せいげつ)」を読んで

 棲月(隠蔽捜査7)    今野 敏著   2018年1月発売

 今野敏の作品を読み始めたのは平成19年1月に「隠蔽捜査」(平成17年発売)が初めてだった。その後今回の作品「棲月」まで60冊以上の今野敏の作品を愛読している。

 今野敏の作品は警察小説のジャンルが多いが、その中でも「隠蔽捜査」シリーズはメインになるもので、初回の「隠蔽捜査」で吉川英治文学新人賞を受賞し、第2回の「果断・隠蔽捜査2」で山本周五郎賞と日本推理作家協会賞を受賞している。

このシリーズは

 「隠蔽捜査」    平成17年(2005)発売、

 「果断 隠蔽捜査2」 平成19年(2007) 〃

 「疑心 隠蔽捜査3」 平成21年 (2009)  〃

 「初陣 隠蔽捜査3.5」平成22年 (2010) 〃

  「転迷 隠蔽捜査4」  平成23年(2011) 〃

 「宰領 隠蔽捜査5」 平成25年(2013) 〃

 「自覚 隠蔽捜査5.5」平成26年(2014)  〃

  「去就 隠蔽捜査6」 平成28年(2016) 〃

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「棲月 隠蔽捜査7」 平成30年(2018) 〃

 

 

 と続いており、今回で9冊目である。

 このシリーズの主役は普通の警察小説の刑事では無く、警察庁のキャリア官僚の竜崎伸也警視長である。竜崎は私利私欲とは無縁で、国家公務員としてあるべき姿や、原理原則に忠実であるため変人といわれている。

 竜崎はある事件によって警察庁長官官房総務課長から大森署の署長に左遷されたが、それにめげることなく活躍する内容がこのシリーズのメインで、最初は戸惑った部下の署員たちからも厚い信頼を寄せられるようになる。

 しかし次回から神奈川県警刑事部長に抜擢されることになった。

 作者は、このシリーズを今後も続けると表明しているので、次作からは竜崎の神奈川県警での活躍が見られることになる。

 今野敏の作品紹介は2016年に「平成27年後半印象に残った本」として紹介した中に「自覚  隠蔽捜査5.5」を載せてある。また2017年に「継続捜査ゼミ、回帰、を読んで」という隠蔽捜査シリーズ以外の今野敏の作品を紹介しており、今回で3度目である。

 今回の「棲月 隠蔽捜査7」は、鉄道、銀行、文部省のシステムがダウンし、出勤や銀行業務などに障害が発生するという3件のサイバー犯罪が行われ、それと同時に殺人事件が発生するが、そのすべてがコンピューターを駆使するハッカーによる犯罪であるようなので、従来の犯罪捜査の手法だけでは捜査がうまくいかず、新設されたサイバー犯罪対策課などとも協力しあって解決に導くという新しい捜査方法が描かれており、その間に神奈川県警への異動の内示があり、大森警察署から離れることに未練を感じつつ去っていくという内容である。

(この項終わり)

2018年8月12日 (日)

2018年 水戸市千波湖花火大会

Img_0001 2018年5月3日(金)から5日(日)まで、茨城県水戸市で、第58回「水戸黄門まつり」が開催される。その初日の夜、千波湖花火大会(正式名称「水戸黄門まつり花火大会」)が翌日からの水戸黄門パレード、市民カーニバル、山車巡行、神輿渡御などの祭本番を盛り上げるべく行われる。

 「水戸黄門まつり」は1960年(昭和36年)から七夕黄門まつりとして始まってから今年で58回目になる。花火大会は明治の末の頃東京で行われていた川開き花火に倣って千波沼の沼開き花火として始まったそうで、その第1回目花火大会の打ち上げを担当したのは水戸の野村花火の創業者野村為重という人である。

 野村花火は現在の「野村花火工業㈱」であり、秋田県の大曲全国花火競技大会や茨城の土浦全国花火競技大会などで何度も優勝しており、日本を代表する花火師である。千波湖花火大会もその初回から取り仕切っている。今回の花火大会ではその冒頭に内閣総理大臣賞受賞作品の「昇曲導付五重芯変化菊」などを打ち上げることになっている。

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 今年の千波湖花火大会は4,500発の花火を19:30から20:40までの1時間10分で打上げることになっている。観客数は、昨年は35万人だったそうである。

Img_6860Img_6878Img_6905Img_6838Img_6874Img_6880Img_6889 小生の家は水戸市下市の郊外にあるが、千波湖の花火大会は家の窓から遠くの打ち上げ花火を眺めるだけで、湖畔近くまで行き間近に見ることはなかった。ところが今年は、以前勤務していた会社のOB会で活動しているデジカメクラブが千波湖花火大会の撮影会を行うという連絡があったので、これ幸いとばかり参加をすることにしたのである。

 黄門まつりパレードは平成26年に下市、平成27年に上市のパレードをYou Tubeで構成し、ホームページにアップしてあるが、千波湖花火大会には行くチャンスが無かったので有難かった。また花火の撮影は平成23年に土浦花火競技大会を見に行ったことがあり、これもホームページの「関東・茨城散歩」の中にアップしてある。

 

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Img_0002 今回の花火の構成は特別出演の内閣総理大臣賞受賞作品を打ち上げた後オープニングスターマイン「もっと meet みとちゃん」の後、第1部から第6部までスターマインを含めた花火を打ち上げフィナーレは「千波湖を彩る火の芸術」という超ワイド特大ミュージックスターマインと続く。


 その内、第3部ミュージックスターマイン「維新の光は水戸より昇る」の一部、第4部スターマイン「サマードリームナイト」、第5部ミュージックスターマイン「未来への輝き」、第6部スターマイン「真夏の彩り」のそれぞれ一部と最後の「千波湖を彩る火の芸術」はYou Tubeの動画にして見られるようにした。

 掲載した静止画写真も動画も、CanonのPower Shot SX700 HSというコンパクトデジカメ(通称バカチョン)で撮ったものなので画質などはもう一つだろうがご容赦願いたい。

(この項終わり)

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2018年7月28日 (土)

平成30年 花畑・菜園便り(4)

平成30年の「花畑・菜園便り」4回目です。

 今回は7月の花と野菜の便りです。

【 花畑 】

Img_6711Img_6687Img_6758Img_6759Img_6771 7月末になるとグラジオラスはそろそろ終わりに近くなって来る。

 その代わりに黄花コスモスが咲き始めた。(写真はグラジオラス2景、黄花コスモス3景)

 

Img_6689Img_6733Img_6729Img_6764Img_6763a 球根から育ったダリヤは花も大きい。しかし種から育てたダリヤもいろんな色の花を可愛くつけている。(写真は球根から育ったダリヤ2景、種から育てたダリヤ3景)

 

Img_6695Img_6728Img_6697Img_6699 カサブランカはたくさん花をつけて、しばらく芳醇な香りを庭一杯に漂わせていたが、7月末にはすべて散ってしまった。

 

Img_6706Img_6770Img_6774_3Img_6775_3 百日草、サルビアは種から育てたが、酷暑と雨が降らず水不足になったせいか、なかなか大きく育たない。最近は朝晩水まきをしているが、思うように大きくならず、少し日影があるといいのかと思うがそれも難しい。(写真は百日草2景、サルビア2景)

 

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それに引き換え、ペチュニア、千日紅はうまく育っているがやはり毎日の水やりが欠かせない。(写真はペチュニア5景、ペチュニアと千日紅2景)

Img_6721Img_6761Img_6762Img_6768(写真は千日紅4景)

 

 

 

Img_6700Img_6703Img_6701Img_6702a 花木のムクゲは今年もピンク、赤、白の3種類の花を咲かせている。

 

 

Img_6732Img_6778Img_6779  松葉牡丹(ヒデリソウ)は順調に育っている。

 

 

 

【 菜園 】

 

Img_6694_2Img_6693_2Img_6691_2Img_6692_2Img_6722_2Img_6756_2 ビニールハウス内のキュウリ、なすは順調に収穫できていたが、7月下旬からの暑さで木が弱ってきて毎日収穫が出来なくなってきた。ビニールの屋根を開けたりして対応したがなかなか回復せず、キュウリはハウスの外に新しい苗を植えることにした。トマト、ミニトマトは順調に毎日収獲できている。トマト系は暑さに強いようだ。

 

Img_6723_2Img_6724_2Img_6725Img_6726_2スイカは7月25日に収穫した。枝豆は1株調べたがまだよく実っておらず、8月になってからの収穫になる。(写真はスイカ2景、枝豆2景)

 

 

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(以下次号)

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2018年7月21日 (土)

「ライトマイファイア」を読んで

 ライトマイファイア    伊東 潤著   2018年6月発売

Img_6731 この本は時代小説家の伊東潤が2016年に発行した「横浜1963」以来、2冊目の現代小説である。

 前作はあまり良い出来栄えとは思えなかったが、今回は1970年(昭和45年)発生のよど号ハイジャック事件の犯人の中に公安の警察官がいたという仮説で、その潜入から脱出までの経緯をスリル満点に描いている。

一方その45年後の2015年(平成27年)に発生した川崎市の簡易宿泊所放火事件の捜査をする警察官との関連をつなぎ合わせ、さらに現在のアメリカの傘下にある日本の現状も見えてくる、読んで満足のいく作品である。

 まず、公安の三橋は中野と名を変え、昭和44年4月から大学生としてある大学に入学し、学生運動の一員として活動を始めた。その結果赤軍派の「さど号」ハイジャックの実行犯を命じられた。だが、下っ端のため命じられたことをやるだけでしかなかった。

 公安の上司にこの計画を伝えたが、そちらからの指令も無く、ハイジャックは実行され北朝鮮に到着した。その間の出来事を三橋がハイジャックの一員としてまた警察官として人質になった乗客の安全を守れるかとの相剋に悩みながら推移していく描写は手に汗を握る場面である。

 本来の赤軍派の計画では北朝鮮からキューバに行く筈だったが、北朝鮮側はメンバーを洗脳して革命戦士として生まれ変わらせ各種工作に従事させようとしていた。

 それを知った三橋は何とかして脱出することを考え警備艇を強奪し、迫りくる危機を何とか乗り越えて韓国領海で米国巡視艇に拿捕された。その時一緒に逃げた男がいたが、北朝鮮巡視艇の銃弾で亡くなった。この脱出劇も眼を離せないスリル満点な描写で描かれている。

その事件から45年後、10人の死者を出した簡易宿泊所放火事件を追っている寺島刑事は亡くなった10人の身元確認を担当したが最後の一人がなかなか判らず、放火犯の目星も付けられなかった。しかし僅かな手掛かりを丹念に追っていくことから驚愕な事実が判明する。

 それについて、文芸評論家縄田一男は「この作品は一編のミステリーでもあるからにして、詳しくは書けないが、エピローグを読んでこう言おうではないか『蟷螂(とうろう)にも、斧はあるのだ、と。』と書いている。

 なお表題のライトマイファイアは、アメリカのThe Doors(ドアーズ楽団)の楽曲 「Light  My Fire (邦題はハートに火をつけて)」 を引用している。本文の406ページに歌詞の一部が載せてある。

 今(平成30年【2018】)から50年近く前の1969年の東大安田講堂占拠事件から翌年のよど号ハイジャック事件、1972年の浅間山荘事件と続いた、全学連から日本赤軍が起こした騒然とした空気を久し振りに思いだした。

 改めて思い起こすと日本とアメリアとの関係、北朝鮮と日本との関係、沖縄問題とも50年前とほとんど変わっていない。その間で暗躍する日本の政治家や財界のブローカーなどの跳梁も同様であろうか?

(この項終わり)

 

 

2018年7月15日 (日)

2018年 涸沼自然公園であじさいを見る

 茨城県水戸市近くにある涸沼は、茨城町、鉾田市、大洗町にまたがる汽水湖である。満潮時には海から那珂川を介して涸沼川へと海水が流れ込むため海水と淡水が混じりあう汽水湖なのでありここで獲れるヤマトシジミは有名である。昨2017年にラムサール条約湿地として登録されている

9f96130b732d82068f19ad81dc2af18148028fa92861976a5021eb4db3f09a772d01 この涸沼の北側湖畔に広がる広大な敷地に「涸沼自然公園」があり、公園内のあじさいの谷を中心にした場所に30種約10,000株のあじさいが咲く。今年は「2018第9回ひぬまあじさいまつり」が6月23日(土)から7月16日(月)の開催期間で行われるということなので、7月2日(月)に見に行くことにした。(写真はあじさいまつりのチラシ)

水戸市内のあじさいは水戸保和苑と水戸八幡宮が名所になっており、保和苑には100種6,000株水戸八幡宮は60種5,000株のあじさいがある。今年は6月10日から7月1日まで第44回水戸のあじさいまつりが開かれた。

水戸のあじさいまつりには何回か行っているが、そのうち水戸保和苑のあじさいについては、小生のHPに「水戸のあじさいまつり(水戸保和苑) 」としてアップしてある。また水戸八幡宮のあじさいについてはフォトギャラリーに「水戸八幡宮のあじさい 」としてアップしてあるので併せて見て頂けると有難い。

 

Img_6684Img_6609Img_6663 公園の入口は「涸沼自然公園管理事務所」という建物の中である。所属市町村名と入場人員を記入して園内に入り、「あじさいの谷はこちら」という案内に従って進む。

 

Img_6610Img_6612Img_6614Img_6615Img_6616 道路沿いにあじさいが並んでいる。大きくて背の高さより大きい。9時半ごろ着いたが、南側が崖になっているので、太陽の光が射し込まず快適に花を眺めながら進める。

Img_6618Img_6620Img_6621Img_6623Img_6624 道路沿いのあじさいは普通のあじさい、ガクアジサイが混在して咲いていた。花の色も濃い赤紫、ブルー、白っぽい花、薄ピンクなどいろいろある。

Img_6625Img_6664Img_6630Img_6631Img_6626 しばらく歩くと「あじさいの谷」入口の左側にある細い遊歩道に折れ曲がる。開けた谷はUターン向こう側の遊歩道に陽の光が照り付けている。

Img_6629Img_6635Img_6639Img_6636Img_6638 日差しを避けて、あじさいの谷を見下ろす坂道を上がっていく。大きな木の木陰が続く道を行くと「わいわい広場」という遊具などが置かれている広場がある。その広場に沿ってあじさいの遊歩道は続いていく。

Img_6640Img_6642Img_6645Img_6646Img_6647 いろいろな種類のあじさいが見られるが、名前が判らない。

 

 

Img_6648Img_6649Img_6637Img_6652Img_6654 名前の標示があるのは最初の頃あった「城ケ崎」というのと、「シーアン(西安)」「柏葉あじさい」というものだけで、より多くの名札の標示か、写真と名前を書いたパンフレットがあればよいと思った。

Img_6650Img_6651Img_6641Img_6656 遊歩道は「一休広場」という開けた場所に出る。あずまやに入り一休みする。この辺りは「さくらの丘」と称して、春にはソメイヨシノ、八重桜が沢山咲く場所らしい。

Img_6655  その一隅に「随處作主 立處皆真」(随處に主となれば 立處皆真なり)と書かれた碑があった。建立したのは茨城町花卉生産組合という団体が平成19年に十周年記念事業として建てたとあった。
  この自然公園の桜やあじさいの植え付けが20年以上前から行われており、それが実を結んで平成30年には第9回あじさいまつりに繋がったのかなと思ったが、ネットで調べた限りでは判らなかった。1万株ものあじさいを育成するにはそれなりの物語があると思うので、町役場なり、花卉組合なりが持っていると思われる資料を公開してPRをすると良いと思う。

Img_6657Img_6659Img_6661Img_6662Img_6665 帰路はあじさいの谷の日の当たっている方の遊歩道を下り、行くときによく見られなかった広い道路の日陰になっているあじさいを眺めながらのんびり歩く。

Img_6668Img_6670Img_6674Img_6680Img_6675 「せせらぎ広場」という場所に立ち寄り、池の先にある「イトトンボ橋」という赤い吊橋を見ながら一休みする。

 約50年前の1971年に涸沼湖畔で発見されたヒヌマイトトンボは絶滅危惧種に指定されている貴重なトンボだそうである。それに因んで橋の名前に付けたのである。管理事務所の前にある売店もイトトンボという名前であり、今年5月に開業したが、月曜日は休みということで名物のシジミ汁は味わえなかった。

 なお涸沼自然公園の休日は4月~10月は無休で、11月~3月は月曜日が休園日である。

 涸沼のあじさいは以前行った水戸市の保和苑や八幡宮のあじさいとは違って、午前中は大きな木の蔭や斜面により太陽の光が遮られる場所が多く、快適に過ごせた。

 また桜の木が多くあるので来春は花見に訪れたい。涸沼の南岸には温泉がある「いこいの村涸沼」があるので、一泊して花見の後、アクアワールド大洗水族館を見たり、ドライブがてら大洗から那珂湊方面の海岸美を楽しむのも一興だろう。

(この項終わり)

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2018年6月26日 (火)

平成30年 花畑・菜園便り(3)

 平成30年の「花畑・菜園便り」3回目です。

 今回は5月下旬から6月下旬までの花と野菜の便りです。

【 花畑 】

Img_6534Img_6531Img_6538Img_6550Img_6551 前回に引き続き、ナデシコは花盛り。

 ラベンダーもだいぶ咲いてきた。

Img_6532Img_6563Img_6536Img_6537_2 花菱草の黄色い花数も増えつゝある。

 

 クレマチスの白ピンクの花と紫色の花も咲きだした。

Img_6565Img_6566Img_6560Img_6561 玄関へのアプローチ脇に植えたマリーゴールドの列の花も大きくなってきた。マーガレットの群落もたくさん咲いている。

 

Img_6574Img_6575Img_6576Img_6586Img_6588 裏庭のアジサイもひっそりと咲いている。

去年のこぼれ種から芽を出したクレオメも何本か咲いている。

 

Img_6584Img_6589Img_6585Img_6580 Img_6581桔梗も咲きだした。紫の桔梗と白っぽい桔梗とがある。

 

 

 

Img_6604Img_6602Img_6606 おしろい花がやっと白・赤・黄色のはなをつけ始めた。今から夏一杯花を咲かす。

 

 

Img_6539Img_6562Img_6582Img_6593Img_6594Img_6607 金蓮花も大きくなってきた。種から育てたダリアも花数が増えてきた。グラジオラスも咲き始めた。これらの花々も夏から秋にかけて咲き続けることだろう。.

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菜園 】

Img_6549Img_6590Img_6591Img_6592 今回はまず2畝だけ作った玉ねぎを収獲して裏庭に作った手製の倉庫に保管した。またジャガイモを掘り始めた。3畝作ったが、雨が降ったりして1畝だけをまず掘り起こした、今年は一株から芽を3個~4個だけ残すようにしたので、今までより大きいサイズのジャガイモが多く収穫できた。これも篭に入れて同じ倉庫に保管した。

 

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      ビニールハウス内にキュウリ、トマト、なすなどを植える。ハウスの北側にブルーベリーが植えてあるが、少しづつ実が熟してきた。

6月6日にブルーベリーとソラマメを収獲した。ソラマメはもう殆んど終了である。ブルーベリーは6月いっぱい食べられた。

 

Img_6567Img_6568Img_6571Img_6569Img_6608 枝豆の種を蒔く。ネギ苗の先にあるのはスイカである。ビニールハウス内のナス、トマト、キュウリも大きくなってきた。キュウリ、トマトは6月20日ごろから収穫している。
トマトは7月はじめは赤く熟して食べられるようになると思う。ミニトマトは、6月25日には赤く色づき始めた。.

 

(以下次号)

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